2015年1月10日土曜日

事始・別館 9-4 達成された安全は人の眼をひかない(4)"マニュアルをこえる”ということ


*このレポートは、私の担当する院内のIG部会の定例会議で業務上の話の終了後、毎回行われているメンバーの「もちまわりワンテーマ」として話されたものです。

 当事者から直接お聞きしたこと(や資料)、あるいはその関係者(同僚)からお聞きしたことのほかに、芳賀先生、小松原先生の講演録からまとめたものです。リンクは今回2015.1.つけましたが、会議時点ではありませんでした。



2012.2.9.IG部会
よい例にはきっと理由があるはずだ?!
この一年、大事故のときにみられた組織と個人のありよう
(マル)の組織

  「(津波から機体を避難させるために離陸したが、津波で基地を失い、指揮系統を失い)孤立した海保ヘリ」の行動:無線がつながらずに本部と連絡がとれない。しかし、不時着した自衛隊基地で本部の指示を待たずに、自衛隊や消防ヘリと救助活動に暗くなるまで携わった。マニュアルは本部から第一線までの指揮系統が生きていることを前提にしていた。高度をかなり上げると通信はところどころ可能となったが、低空では繋がらなかった。隊長は「組織のそもそもの意味を考えると迷いはなかった」(あとで怒られたが「処分は保留」)その他の海保の活動はこちらです。
  JR東と各臨海鉄道線は運転中の27列車が緊急避難の対象となった。各地の運転指令の指示(無線)で列車を止め、避難を訓練どおりおこなった(地震津波は「想定内」だった)。が、一部の列車には無線が悪く指令が届かなかった。現場では「規定」に反して「決められた避難場所」に移動せず高台で停止した列車では地元乗客の意見を受け入れ全員車内に残った。低地で停車した列車は全員そろって高台や避難場所に逃げた。駅もろとも5本の列車が津波に流されたが人的被害ゼロ。(JR東テクニカルレビュー45JR東労組の記録
  本部の指示がないのにありったけのペットボトルを避難所に配って回ったコンビニエンスストアの行動活動のまとめを公開している)
  帰宅難民にビルを開放したり、スープをふるまったレストラン。ロビーを開放し毛布を貸し出した超一流ホテル。
  デイズニーランドの入場者7万人、うち帰宅不能の2万人への対応。5万人まで想定していたマニュアルとキャストの機転(販売している菓子を配ること、配布の順番は決めてあった。しかし、それ以上のことができた。ダンボール、ぬいぐるみ・・)
  指定された避難場所に一旦にげたものの、そこは危険と判断、さらに高台に移動して助かった中学校の判断

  JR貨物:被災地の近くで地震のため停止してしまったコンテナ列車。大半が首都圏むけ北海道の食糧を積載していた。荷主の同意を得て食料品などをそのまま被災地・避難所にJR東社員のボランテイアや災害派遣部隊の協力で運び出した(東北本線の全線再開は40日後だった)。またJR貨物はグループの協力を得て、日本海まわりで燃料の緊急輸送経路(根岸ー新潟ー青森ー盛岡)を開いたり、民営化以後、急カーブと傾斜で貨物車通行の実績のない磐越西線(新潟ー郡山)も南東北への燃料輸送経路として開発した(普段燃料輸送に使用していない各線区の重量計算など大変な作業なはず。JR東が2日で計算し、貨物は適合する機関車・タンク車を全国から集めた)。http://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/td/pdf/2_9.pdf



*もっともっと報道されない素晴らしい対応があったと思われる。 

(マル)でなかった組織

  薬事法を理由に、震災時に病院間での薬の融通を拒否した病院
  被災自治体の要請がない(「要請すらできない状況」と想像できない)からと、支援物資を送らず、ためこむ役所(県や少し後方の市)。その結果、支援物資の受け付けを中断する自治体(送る側)が続出。
  生徒をマニュアル通りに校庭に並ばせ「待機」させ(逃げ場所を沢山確認し)避難場所に向かううちに津波に襲われた学校(調査中)
  「(煙にむせても)火を確認しなければ火事と認識しない」「運転指令の指示がなければ乗客を避難させられない(動けない)」JR北海道(国土交通省はマニュアルの改訂を指示した、が・・マニュアルが問題?)
  「公平」にこだわり、夏が過ぎても配られない募金。募金・義援金の配布能力がないことが判明。また(配布に)「口を出したがる」役人(交付金のつもり?)(寄付した側は白けてしまう。もう二度と日赤に寄付なんてしない実際に働いているNPOにカンパしたほうが良い。その後、私もカンパ先を友人の属しているNPOに換えた
  (ヘリから)ものをなげおろしてはいけない規則。着陸できない場所で食料を孤立した被災者に配らないヘリ(米軍は「バカか?」と見ていた)。ただ、組織によっては違った。石巻市立病院には食料がテラスに投げ込まれた。おかげで、3日目に職員は食料にありついた。
  災害マニュアルに従い、病院を目指した管理職職員、津波で親子とも流された
  「前例がない」(前例などあるわけがない!)と避難的集団転院を一旦承諾しながら、許可しない(できない)県役人(転院が遅れて危機的になったので県を通すことなく現場とDMAT、自衛隊、ボランテイア・受け入れ施設で集団避難を強行)。福島県の知事・役人のために市町村・病院・介護施設は本当に困ったようだ(受け入れ側、千葉の病院 談)。
  病人を乗せた避難バスの経路を「杓子定規」にとりしまった。2時間のところを12時間かかったような例が頻発。多数の死亡者をだした。

こういうこともあって、組織のありようが見直されている

・いままでの組織の作られ方を簡単に
1)    人 がんばれ、気を引き締めてしっかりやる、先輩を見て学べ、という時代
2)    自動化、マニュアル(仕事を標準化する)と機械できちんと(設備)  大抵これで間に合った。仕事の質も均一化。同じ事をする工場みたいなところにはよいが・・・・
3)  1)2)でかなりよくなったが、それにも限界があることもだんだんわかってきた。

再び「人」へ注目
 2)方式は 
  .意欲がわかない
            意欲 :創意工夫、改良、自分の成長(感)・・・
            適度な自己裁量が仕事には必要
  .設備や機械の改善にも限度がある
  .マニュアルが膨大となる
     マニュアルが最も有効なのは、one person―one jobのとき
          「マニュアル学ぶこと」が仕事になってしまう
  .状況が変動するような現場、仕事ではでも「足りない」
     定石、SOPはある。しかし「行間」は自分の判断・感覚
  .どんな所にも異常事態はある。
     想定のシナリオや訓練は絶対必要、しかしシナリオ通りになんていかない
  
・「手続き」や「作業」をマニュアルに書くことは難しくない。が、「仕事」「任務」はマニュアルには書ききれない(それを書こうとすると非現実的になる)
・「マニュアルには表わし切れていない行間を読み、自ら考え行動するためには、個々の能力も高くしなくてはいけない。普段何も考えない人が自ら考えて行動するのは博打」 
ここでいう「行間」の意味:自分が属している組織のそもそもの目的、存在意義の理解、「仕事」の大局的理解。日常的なトレーニングが、信頼と価値観を共有する助けになっている。

・(仕事は)行間を読むことで成り立っている?


」の組織と行動の特徴

・ 平時の教育・訓練、ルール、個人の創造力を高めるような学習がされていた

  分権ができる組織 中央集権分権、現場への権限移譲が柔軟、スムーズ、信頼

  信頼と価値感の共有と「自律」。自分たちが何を目的としている組織なのか? 指揮系統が断たれても、上司がいなくても、明文化されたマニュアルがなくとも、それほど迷わない(ドイツの軍隊の例がReasonの本にのっていた)

100点」を目指すのでなく、「80点を目指し、切り捨てるものも考える」

・最後にその現場で「マニュアル」でなく「正しいと思ったこと」を自分の責任で判断した人がいた、ことなんだろうね。

・「腹をくくったリーダーとそれに従ったフォロワーシップの好例か?」

最近「組織と人間に対する考え方」が少し変わってきているようだ

・人間をリスクとして考えるのでなく想定外の事象が起きたときなどに、なんとか臨機応変に「やりくり」して、生き延びる能力、損失を減らす能力を持つ存在と考える。

・「×」の組織の悪かったところの分析よりも、「」の組織の事例を重視する、という見方。

・ただ「人に頼る」をやりすぎると1)に戻ってしまう恐れがともなう。「No blame(人を非難しない、罰しない)」かつ普段は2)をしっかりすることが前提。1)とは違う。

・単に「柔軟な組織」というのでなく、柔軟になれる背景がある(上にあげたこと)

・特に、仕事への誇りと組織の価値観の共有(自分たちが何の仕事をしているのか、何のためにこの組織はあるのかを知っていること)。「医療」の場合、指揮系統がなくなっても、その職種の「職業倫理」(団体の「倫理」とは違うと思う)でうごけば問題がすくない?と思うが、それはわからない。

・「危険と隣り合わせのしごと」に携わる人間がこれから目指すのはこういう組織・チーム・人。「弾」とか「しなやかさ」を重視した組織、チームではないのか。いまはやりの?言葉で言うと「レジリエンス」という。泥臭く「現場力」とも言っても良いそうだ。

質問:身の回りで、明文化されたマニュアル・ルールから「はみ出して」というか、「原則」に戻って考えて行動。かえって上手くいった経験とかありますか?また逆はありますか?
 



注:青字はその時のメンバーの発言です

(以下、管理人のコメント)

 定例の会議でこういうことを話題にしてどうなのか?と自分でも思います。ただ、人間を「エラーを起こしやすい、仕事のシステムの中では最も弱い存在」という扱いから、もっと人間の能力に期待しようという流れになってきていることも知って欲しかったのでした。

 明文化されているルールから抜け出ること、も大変ですが、明文化されていない「きまり」と言われることから抜け出る?ことはもっと大変なはずです。ここで挙げた「○」の組織は、腰(腹)の座ったリーダーが、柔軟な発想をして、チームでそれを実行したのだと思います。もちろん、フォロワーシップを発揮できるメンバーもいたのでしょう。

 この1-2年であったことを都合よくいろいろ取り出して、これはレジリエンス、あれはそうではない、などと言っても仕方がないのですが、私の属している組織が(かつて、良い意味ですこし「ユルかった」のですが)最近あまりに「ガチガチ」に思えて・・・話題提供してみました。なにかが残ってくれればと思っています。こういう考え方が、もう少し世の中に広まったときに、外からの情報で変わっていくのかもしれません。「外圧」頼みなのですが・・・(苦笑)


 私が担当しているIG部会という会議はいくつもの部署の責任者による業務の連絡会議のような位置づけです。しかし、それだけでは面白くないだろうと、毎回、持ち回りの司会役が自由なテーマを選び簡単なプレゼンをし、それについて好き勝手なことをワイワイというものです。結論や正解は求めていません。最近のテーマは「部下の話をよく聞く方法」「新しいリーダーシップ」「部下を褒める」「防災マニュアルは実際に使えるか」とか、自分の気に入った本の紹介などでした。
  もうすぐ50回くらいになります。最近、「きれいにまとめる」ようになってきたので、少しやり方を変えなければと思っています。