2014年10月19日日曜日

事始別館 2-2 注意が「一点集中」になってしまう



私たち人間の「注意力」は「目立つものに引かれる」という特徴があります。そして、「一つのことに集中すれば周囲が見えなくなる」ということも・・・(本館の「HF講座」)



「注意」を引くべく目立たせようとするのでしたら、それはそれでいいのです。大事なところの色を変えたり、警報を真っ赤なランプにしたり・・・心理学的にも有効なのでしょう。


ところが、前項(別館 2-1)のように医療機器の進歩で、本来チームで適切に分散・活用されるべき注意力が、過度に「一点集中」させられてしまう状況が多くなっているのではないか、と感じます。そしてそこには人間の注意力の限界や特性、使用される現場の状況といったヒューマンファクターへの配慮がないまま、新しい機器で「出来るから始める」というふうになってはいないのか、という不安です。


「舞台設定」


今回(2-1)は内視鏡(大腸)の検査・処置に伴う事故例を話題にしました。しかし、他にも同じような「舞台設定」はあります。カテーテルインターベンション、内視鏡手術、 腹腔鏡、胸腔鏡による手術、ダビンチ(ロボット)手術(まだ見たことはないですが)、顕微鏡手術・・・・。


上部消化管の検査でも、たまたま自分の関係している患者さんで高齢でしたので覗いてみたら、呼吸が止まりそうになっていた、などということもあります。


「一点集中」を加速する要因


「皆がそれぞれの分担した任務をきちんとはたしていれば、そんなことはないはず」。私が問題化すると皆そう言います。「ちゃんとすれば・・・」と。
ところが人間はそう機械のようにはうごきません、「うまくいって欲しい」「早く終わって欲しい」と願うほどある一点に集中してしまいがちです。これが時に弱点にもなります。 


1.   周囲は暗く、画面だけがギラギラ明るいなど、物理的環境。注意が引き付けられるだけでなく、いざ見ようとしても「暗順応」が遅くなる。


2.   トラブルを起こしている(順調に進んでいない)とき、予定外の事象が発生しているような時。メンバーの意識が皆「術者」(そのことだけに集中)になってしまう。


3.仕事の分担と協調が不適切
 誰が何を見ているか?特に2-3人でする仕事の場合、分担など打ち合わせが不明瞭になりがちです(「二人は危ない」参照)

 人が足りない、という言い方もときどきされますが、「配置」の必要を認めないから配置がされないとも考えられます。患者への評価が実際にはされていないから、準備(人)もされていないのではないかと。
 評価は病巣の評価よりも、全身状態の評価をすべきです。例えば「大腸がん疑いの女性。83歳」というプレゼンよりも「ヨロヨロのバアチャンが、2日前からイレウス」と言った方がわかり易く→警戒することになります。


4.モニター表示の錯覚など
 例えば内視鏡をしていても、大抵は正常に推移し、何も起こりません。心電図や酸素飽和度のモニターを見ていても、見ていなくとも結果は同じ。だから?つい(悪意はなくとも)「見ていない」 ことが多くなります。



10分前の値?:
 モニターは記録は残りますが、リアルタイムでみて、判断していることに価値があります(あとは警報です)。事故の記録の分析が目的ではありません。CVRではないのです。

 そこで大事なのは「表示されているのがリアルタイムの値かどうか?」ということです。

 間歇的に測定されるものは、その「過去の測定値」がある時間そのまま表示されています。その表示が見えるので「まだ○○だ。大したことない値だ」と,せっぱつまっている場合ほど、都合よく解釈して安心してしまうことがあります。その表示が実は3分とか5分前の値だったりするのですが、そのことに気がつくのに案外時間がかかるのです。私もだまされることがしばしばです。

 これに対してリアルタイムで表示されているのはパルスオキシメーター、心電図、動脈カニュレーションがされていたり、トノメトリーであったら動脈圧、呼気終末炭酸ガス濃度などでしょうか。

デジタル表示とアナログ表示 :
 もうひとつは表示されている生体情報(=安全情報)モニターが「数字」というデジタル表示か、「波形(+数字も表示)」というアナログ(だからリアルタイム)表示か、という問題です。一般には間欠的表示である「デジタル」よりも、推移も感じられる「アナログ」表示のほうが、とくにクリティカルな場合に「状況認識」がしやすいと言われています(ハイテク機に乗るベテランパイロット)。 



コンプラセンシー:モニターを装着するのはよいのですが、きちんと装着されていたか?という基本的な問題もまたあります。装着だけして、見ない、有効かどうかを考えない使用法(センサー類装着)も「いざ」と言う時に役に立たずあせることになります。付けてある、という安心感(自己満足)


誤報慣れ
 生体に装着するセンサーは、他の機器の影響を受けたりしたり、装着部位の問題から必ずしも安定して表示できているわけではありません。最も大きな要因は体動で、かなりの頻度で「警報」が鳴ることになります。鳴っては「警報の一時解除」ボタンを押す、という繰り返しになります。毎回、アーチファクトであることを確認しなければなりません。これも「99.99%は、なんともない」のです。その結果「またいつものあれだよ」とか、「ちょっと測定できていないだけだ」と都合よく解釈してしまうことになります。

間接ビジランス(監視業務)の問題
 モニターなどの器械を介して見ている、ということはビジランスにとっては間接的になっている、ということになります。手がかりが「ある値(デジタル)を超えたとき」とかに限定されて表示されることになります。センサーは一つか二つです。「予兆」とかいった、かつて現場に期待された働きができなくなっているのです。例えば「顔色・表情をみる」などというアナログな、しかし総合的な情報は伝わらなくなっています。


本来の「注意力」を取り戻すために


 「注意が一点集中」してしまう状況は、暗い環境にある明るい画面ばかりとは言えません。原因が「感覚器としての眼」の問題でなく、「脳の注意資源の配分」「チームの注意資源(協働)の配分」の問題だからです。明るい環境でもおこります。

☆「錯覚の科学」(文芸春秋)に注意資源の配分の問題として、有名な「invisible Gorilla」のほかに、えひめ丸が目に入らない潜水艦や、航空のヘッドアップデイスプレイ(注)のために滑走路誤進入に気がつかない例、自動車運転時に目に入らないバイク、想定されていない病気(や異物)を見逃すレントゲン読影など、「見えているのに、見えない」例が載っています。

警報の工夫
 音・光の警告の工夫(警報を切ってはいけない)、警報(モニター)の多重化より多様化により警報(情報)の「信頼性」を向上させる。これは「人」による情報でも同じ。悪いほうの情報を基準に考えるのも危機管理の原則。

「STOP&スキャン」

 いったん現在していることを止めて、周囲を見渡し、(場合によってはチェックリストを使用)いくつかの基本的事項を確認すること、をいう。
その時、医療であれば画面・モニターより患者を自分の眼でみる、ことが必要。

共同でなく「協働」:

 仕事の分担と責任、重なりを再確認。一般的にはリソースを集中させるのですが、場合によってはあえて分散させることも必要。




 良好事例:「何か変だ」宣言


良好事例を紹介します。「注意の一点集中」だけではありませんが「一点集中」を予防し、問題を解決していったケースです。


 「HF講座番外その22に掲載されている手術時のトラブル発生時の、危機回避例です。
 術野外で発生したトラブル(当初は原因不明)のために、術中突然低血圧となり、麻酔担当医が、「何か変だ宣言」をし、術者に術式の変更(多部位当該部位・簡略化)を提案し、原因を探索しながら手術をする・・・という経過です。


(以下引用)原因探索チ-ムと現状維持チーム(全体をモニターしたり、とりあえず手術を続ける)を分ける・・・

「何か変だ宣言」は良いのですが、場合によってはみんなが「そのこと」に一点集中してしまうと新たなトラブルにむすびつきます。原因探索をするチ-ムと手術を続けたり(止めてしまうと危ないこともある)、患者全体をモニターしたりするチ-ムの役割分担を再確認すること(「○○さんはモニターを読み上げて!」とか、「術者はゆっくり手術を続けて」など)が必要です。(引用おわり)


 手術中に「何かおきている」ことを比較的早期に発見し、チームに宣言。手術室のチームが危機の認識を共有できたところで、全員が「一点集中」しないように、業務の割り振りをおこなうことが出来た例です。


注 ヘッドアップデイスプレイは航空機だけでなく自動車にも応用されつつありますが、人間は「脳で見ている(認知)」ことを忘れているような気がします。


                                     *              *                *


今回はチームが「注意の一点集中」に陥ってしまう問題を考えました。この連載にご意見・ご教示をお願いします。





   





2014年10月15日水曜日

事始別館 5 多忙な社会の「省エネ思考」(ヒューリステイック)  読書録から



多忙な社会の「省エネ思考」(ヒューリステイック) 読書録から

行動科学ブックレット「決める~意思決定の心理学~」中西大輔(行動科学研究会)著

「行動科学」という言葉を大学で心理学を教えている友人(元管制官)から聞いたことがあった。ネットを見ていたら偶然この本が目にはいった。「薄い」(約60p)のでちょっと読んでみよう、という気になった。で、注文。

わたしたち(人間)は忙しい!?

私たちは、朝おきてからいつものように病院に来るまでだって、否応なくいくつもの意思決定(判断)をしながら来ている。何時に出るのか、どこを通るのか、今日は何曜日だからこの道は混んでいるとか、「あっ、黄色になった。仕方ない。止まるか」・・・など。いちいち意識はしないのだが、その場その場で、ということも含めて意思決定をくりかえしている。病院に来れば、診療は「決める、意思決定」そのものだ。「Aという薬にしようか、Bにしようか?それとも手術か?」「入院させようか?外来で診れるか?」

ところで、人間の意思決定というのは、どの程度論理的なのだろうか?というのがこの本のテーマだ。

私たち人間は使える能力に限りがあり、使える時間にも限りがある。いつもすべての情報を集め、ゼロから論理を積み重ねることなど不可能だ。現場の時間進行と、思考の時間進行が同期しないと(間に合わないと)どうにもならない。「よく考えること」自体が害になることだってある。

ところが、人間は(何か決めるに際して)「分かってしまわなければ」不安なのだそうだ。ところが全て分かることなど現実の生活では不可能。そこで「とりあえずわかる(わかったつもりになる?)」方法として我々は知らず知らずのうちに「省エネ」思考法(ショートカット)を身につけた。それがヒューリステイックと言われるものだ。場合によっては直感といってもよいが「とりあえず、こう考えておこう」「こんなことだろう」というものだ。ヒューリステイックは(結果がビンゴの時には)とても便利な思考法なのだが、一定の方向に歪むことがある。それがバイアスと言われるもので、場合によっては落とし穴になる。「事故」や「失敗」「損失」に繋がる判断をしてしまうというわけだ。

著者は、ヒューリステイックだけでなく、集団や環境・・といったさまざまな要因が私たちの意思決定に影響している、ことを説明する。

主なヒューリステイック(バイアス)にはこんなものがある。

1)  代表性ヒューリステイック:典型的(と主観的に思っている)ケースに判断がひきずられてしまう。

例)猪木さんは息子にプロレスを教えていました。でも、猪木さんは息子の父親ではありません。では、ふたりの関係は?

例)「ビデオカメラどこがいい?」「ソニーならいいんじゃない」

例)ノロが流行って混んでいる冬の午後、外来。「下痢、嘔吐?」「あれだよ、あれ。ノロにきまっている!」患者を見るまえから「診断」がついてしまっている。が、下痢や嘔吐なんてたくさん病気がある。

2)調整とアンカリング:アンカリングというのは錨を下ろすこと。判断が主観的に正しいと思っていること(最初の情報や印象によることが多い)から離れられない。その後の情報も主観を補強するように考える。つまり「その枠内(つまりアンカーの届く範囲内)」で解釈、納得、判断してしまう。場合によっては、こじつけてしまう。「こんなことだってあるさ」

例)「ヨドバシで980円のところ、本日、当店790円」(ヨドバシを基準にしているがヨドバシが基準価格でもないし、安いとは限らない)

例)(想定した診断とあわない症状・データがあるにもかかわらず)「中にはこんな患者もいるさ」「以前そんな患者もいたし」

3)利用可能性ヒューリステイック:たまたま記憶に残っていたり、その時、その場で思い出せることが、実際に「多い」「正しい」と考えてしまう。

例)「あっ、そうだ。この前、先輩の○○先生がこうやってうまくいったと言っていた」(データよりも、身近な先輩の話のほうに現実感や説得力を感じてしまう)

例)最近、読んだことがある文献に出ていた。「そーだ、あれだよ、あれ。あれに違いない」昨日の新聞に出ていたことと似ていたら、もうそれに違いない、と思いこんでしまう。

4)使ってしまったコストは戻らない:ショートカットの判断が途中で訂正に「抵抗」がなければ大きな問題は起きない。ところがドツボにはまることもある。「埋没費用」といわれるものだ。もう使ってしまったコスト(お金、時間、労働、心理、・・・・)にその後の判断が影響されてしまう。「使ってしまったもの」はもとには戻らないのに・・・

例)「ここまで頑張ったんだ。ここで引き返すのは・・・・」と深みにはまる。何十年も前に計画したダム建設や核燃料サイクルが(本当は今や不要・不可能なことが皆わかっているのに)やめられない、ようなこと(まあこれは利権なんかもあるんでしょうが)。

例)麻酔導入時に気管内挿管ができない。麻酔医2人は交代で試みた。でもダメ。そこに「どうした、どうした」と同僚たちがはいってくる。「今度は俺が」「よーし、今度こそ俺が」と・・・。

 本当は気管内挿管をある時点で諦めて、違う方法での気道管理を考えたり、手術を中止(麻酔を中止)して覚醒させる決定をしなければならない。にもかかわらず同じことを続けた結果、声帯浮腫、喉頭浮腫で本当に換気ができなくなってしまった。結果、低酸素血症で死亡。(「麻酔エラーブック」という本に「引き際が肝心」という章があるので参考にするといい。同じ例がネット動画にもでている。人ごととは思われない。当院でもトラブルはある)

(以上は個人レベルの問題だが)人間は社会的動物であるから、「論理」でなく他者との関係や社会的な習慣や環境で「意思決定」が影響されてしまうことがある。代表的なものが「同調」(皆がそう言うなら、違うと思うが仕方ない。皆がそう言うなら、そうかもしれない、と「判断」)とか、「社会的手抜き」(みんなでする綱引きは、人数が多いほど一人一人は力を抜く)とか、「集団浅慮」(みんなで決めたからといって、正しいとは限らない。逆に「イケイケ」となったり、反対意見の人に「同意」を迫ったり、「極端に振れる」決定をしがち)といわれるものだ。

このようなショートカットな決定の仕方は、リスクはあるけれども、人間社会の発展に伴ってそうなってきたらしいということ。非合理だけれども「そこそこの決定」をするという意味では合理的・現実的とも考えられる、といわれているのだ。

「とりあえずの決定」(ヒューリステイック)に伴う「リスク」にどのように対処(予防)するかという、我々が知りたい解答はこの本に書いてないようだ(実は後半1/3は飛ばしながら読んだ。所謂、斜め読み)が、それは別の本を読めということか? 

とりあえず(笑)、「ヒューリステイックな決定」であること、簡単に言うと「仮決定」であることを自覚すること、常に新しい情報(データ)と比較検討すること。「ボトムライン」(変更条件)を明らかにしておくことくらいは必要なのだろう。

* * *

車を選ぶときも

もう一つ面白かったのは、車を選ぶときの心理だ。競合他社(車)との比較を、各項目(属性。性能とか安全性とか、スタイル、燃費など)で行ったりしているが、購入者が最も重視する属性に従って選んだ結果と多数の属性を検討して選んだ結果とほとんど変わらないそうだ。「単一決定ヒューリステイックス」という。このことはデイーラーのセールスマンも知っておいたほうがいいかもしれない(他車との比較などあまり関係がない?医療現場でもありうること?)。

感情

また、感情については「感情的になるな!」と言われるように、一般的には合理的な決定を阻害するかのように言われている。ところが、「決める」という行為自体が感情によって支えられているという。「感情」は「注意資源」を支配し、「注意資源」は知覚判断出力という認知過程や記憶とのやり取りの全てに関わっていることを考えるとなんとなく(ヒューリステイック?)納得できる,ね。

お断り:

「例」はこの本に載っていたわけでなく、私が思いついた例です)

 この読書録は「ヒューマンファクター講座番外5」と重なる記述があります。

 この文章は院内LANに載せたものです。

④ 2022.一部修正しました


 

2014年10月13日月曜日

事始別館 2-1 エラーと事故(障害)の間



大腸内視鏡検査中に穿孔。腹腔内にエアが注入され、呼吸停止!


また起きてしまった



関係者:
術者 消化器内科医A(専門医)、上席医(専門医・指導医)、外来看護師(複数)、外来婦長、病棟婦長、病棟看護師、

応援医師B(心臓外科)、応援医師C(循環器科)


 整形外科の患者さんが、術後、イレウスになった。イレウス管を入れて減圧したい。上部から試みたが効果的でなかった。それで下部消化管の内視鏡をして原因を探す・・・・となった(らしい)。この患者さんは慢性透析患者で人工血管による内シャントが造設されている。
 事故報告書はまだ出ていない。とにかく「下部消化管の検査中に穿孔、呼吸停止・心停止」になってしまった。

 経過は聞くところによると、前回(ヒューマンファクター事始 番外20)とほとんど同じようだ。事態悪化の「要因」も似通っている。 このことが大きな問題


事象の連鎖が止まらなかった。一つ一つの「事象」の間に「時間」はなかったのか?

「一点集中」


1)検査に関わったメンバー全員が画面に「一点集中」してしまう条件にぴったり「はまってしまった」(番外20参照、魔の条件は別稿)
 右図はwebにあった内視鏡検査の画像の一部。画面と周囲の暗さを比較してください。実際の感覚ではもっとデイスプレーの明るさと周囲の暗さに差がある。この状態で内視鏡がなかなか進まない、とか角度によって(出血しているが)止血がしにくい、とかいう条件が重なると、スタッフ全員が画面に釘付けになってしまうことが想像できる。

 その結果、だれも”患者さんにおこっていること”を見ていないことになりがちだ。

2)仕事の分担と協働が不適
 確かに看護師の一人は患者につくことになっている(モニターや介助)。「何もトラブルのない時は“本来の役目”」をはたしている。しかし、今回のように、検査が順調でない場合には、意識は”自分も術者”になってしまう。画面に見入ってしまうのだ。

3)正常化バイアス:

 患者さんの観察(モニターも)をしていて、表情もふくめた「異常な値」は表われていたはずだ(警報)。ところが 「マテマテ」バイアスによる警報への判断が遅れ(「動いたからSPO2が正確にとれない」などと都合のよい解釈をしがち)、発見の遅れ、対処の遅れ、となってしまったようだ。

4)コンプラセンシー:
 「モニターはちゃんとつけてある」という自己満足・安心感も、3)の判断の遅れを誘発した。しかし、モニターはせいぜい「鳴る」だけ、何もしてはくれない。

5)間違った「改善」「合理化」による初期対応が遅れた
 
 「めったにないことの準備をするのは不経済」「トラブルを想像できない弱い組織」「過去から学ばない組織」(不都合な過去など忘れたい。伝えられない)

★ 「時間軸」「タイムスタンプ」も重要
 繰り返すが、私たちの日常では、ある手技を実施したからといって、即、死亡、なんてことはめったにありません。一つ一つの出来事の間に「時間」は意外とあるのではないかと思います。ただ、それが明らかにされていないことがほとんどのような気がします。「記録」として残っているのはせいぜい「出来事」の「順序」だけです。この時間軸の調査の問題は後述(急変の発生からの記録も重要。RRT研修の資料 参照)。

 この少しの時間に、気づく 指摘する 修正する といった「エラーの回復過程(Sasou-Reason)」が働けば、被害は最小で済む可能性がうまれます。

 時間を調べるのは記録の正確さのためだけでなく、「その時間」をどうすれば、回復の可能性を追求することができたのか、と考えるためです。


「予防」よりも「気づく工夫」を

 産総研の中田氏は、ヒューマンエラーや突発的なトラブルの予防は難しい、「ならば気づく工夫をもっと考えるほうが効果的」、という。以下は中田氏の意見そのものではないのですが・・・

気づく ために

ⅰ.必要なブリーフィング(外科の「タイムアウト」に準ずる)

   目的、患者のリスク、予測、KY(具体的に)、仕事の質、チーム

ⅱ.モニタリング

   悪いことが起きることを予測して観察active monitoring

   を具体的に考えたモニターの使用、アラームの設定

  「モニターが付けてある」ということで安心・自己満足していないか?           

 モニターをモニターして判断するのはあなた、だ。

  正常に装着され、正しくモニタリングできているか?

  測定間隔は?表示されている値はリアルタイムか?数分前のものか?

  使っているモニターが何を意味しているのか?

*ここで気がついたことは、患者モニターの画面(デイスプレー)が可動性を重視しているためか(経済性のためか)小さすぎるのではないかということ。他の物(明るい内視鏡の画面)がなければそこそこ見えるモニター表示も、「注意」の大半は大きくて明るい内視鏡の画面に使われ(奪われ)てしまっている。

*治療をする内視鏡とセットのモニターは千万単位の投資、しかし患者の状態を把握するモニター類は?となると、保険で評価されていないので病院の意識次第、現場の意識次第。

*「患者ーモニターー介助・監視者」の位置関係も重要。患者の状態やモニターが嫌でも目に入るような位置関係が必要(視野に入っても「意識(注意)」の視野?に入らなければおなじだが)。

ⅲ.業務分担の明確化と協働

ⅳ. 「気づき」が遅くなる要因

   モニタリングのバイアス:正常化バイアス、similarity vias, frequency bias

    決定の先延ばしが致命的になる

   コールアウト:「なにか(不都合なことが)おきている」不安感を発声することを許容

   情報へのアクセスのし易さ、取り出しやすさ

指摘できるために

ボトムラインの明確化、何をコールアウトするか?タイミングは?ブリーフィングで危険予知

日常的に指摘しやすい雰囲気か、指摘されたとき感謝を表しているか

修正 

緊急を判断できるか?「判断」はすこし大げさでもよいのではないか?(組織として許容を明文化するのがよい)

援助の要請の判断、提案、RRTの活用

しかし、とりあえず初期治療は現場で出来なくては・・・・・「もの」もなければ



★「code blue」では遅い  (5)について)

 結局、レントゲン透視室で担当医や外来(内視鏡担当)看護師らが、血圧が触れないことに気づき、騒ぎ、上司を呼んで・・それからBを呼んで、Bの判断でCを呼んだ、という時系列になりました。ただし、時間の目盛りは不明。

RRTというよりcode blue状態です。

Code blueが機能できなくなる「合理化?」「改善?」

 過剰な現場のコスト意識が「必要なところに必要なものがない状態」を作っていることが、いざ何かあると露呈します。いざという時に「ものがない」「(役に立つ)人がいない」のです。

 今回露呈したのは、いつのまにか、各フロアで共通仕様の救急カートの中身が(取り払われ)、日常的に使う道具箱に「改善」されていたことです


 集中治療室や手術室以外では事故や急変などそんなにおきるものではありません。そんなことから「普段使わないもの」は現場の過剰なコスト意識(無知)で、常備しないことになってしまっていたのです。こんなことが管理能力として評価される風潮まであります。(以前のHF講座でも中途半端な「改善」の危険性についてレポートしたことがあります)


 医療現場では「もの」が片づけられると、その知識(のある人)も片づけられたようにいなくなります。「これは何に使うんだろう?」という疑問や探究心も浮かびようがありません。

全体を見ない人ほど「目の前のコスト」を主張する傾向があります。救急時の薬剤(カートの中の)や消耗品なども運用の工夫でロスもほとんどなく維持できます。「ロス」が発生するからといってやめることなどできませんが。


 そもそも、「めったにない事」のために用意されているものが「めったにないから」と、片付けられてしまっているのは悪い冗談です。


 確かに急変対応と効率性(経済性)はそこだけを見ると相反するように見えます。だからこそ、ゲーリーUSスチール社長が20世紀の初めに「安全第一」「・・」「・・・」とわざわざ言っているのだと思います(「・・」は調べてみてください)。

実時間で時系列を再現、何をしていたか?どう動けばよかったか?を検討すべき

駆けつけた時には点滴ルートすら確保されていない、状況で、BとCがCPRをしながらCVCを入れました。しかし、すべて後手後手となりました。ここまでにどのくらい時間が経過してしまっているのかわからないのですから・・・あきらめざるをえませんでした。

☆BCは二人とも先に「腹腔穿刺(排気)」をすればよかったかもしれない、とCPRをしながら考えていました(それでショックから回復した経験がありました)。が、一つ一つの対応があまりに遅かったので、「これでは無理」と気力も途切れてしまったといいます。

時系列を実時間で洗い出す調査と、そこで何ができたか、現場にいたメンバーが何を考えていたか、何をしたか、を知ることができなければ、急変からの回復は次回も望めなくなります。

組織事故としてのアプローチ

事故後、院内安全委員会のメンバー(当該科の看護師長)に「レポート遅れ」の原因」を尋ねてみました。すると「担当医が(レポートを)出さないから・・・」という回答でした。

「えーっ!結果OKのインシデントじゃないから、調査は当事者の意思なんて関係ないんじゃない」と私。「どうでも良いレポートは上から目線でもっともらしく解説してたくさん出てくるのにね」と皮肉っぽいDさんも。

 もう少し、話を聞いてわかったことは、この問題を「A医師個人の失敗」と矮小化して捉えていること、でした。「A医師の失敗だから、A医師が反省のレポートを提出してからでなければ始まらない・・」というわけです。

 私たち(HFグループ)としてはA医師の問題は、内視鏡検査そのもの、事故発生の予測と対処にもあると思いますが、チームとしての問題のほうが大きいと考えています。大体、私たちが、経過を追って考えようとしても、医師BCのことしかでてこないのです。そのほかのスタッフは何を考え、なにをしていたのか?です。これは積極的に聞き取りしなければ記録として残りもしないのです。

 「技術的な失敗なのか」「リスクのあるケースで、ある割合で起きうることがおこったということなのか」という検討と同時に「誰もが気がつかずに、心肺停止にまでいたったのはなぜか?」「初期対応の問題は?」「(人が変わっても同じ事故を)繰り返した原因は?」と考えるのが組織事故へのアプローチなはずです。「人やもの」に関するサバイバルアスペクトだって考える必要があります。今回の事故での問題はむしろ、後者(4つ)なのです。

 そもそも「事故」は「消化管穿孔がおきた」時点だけではなく、「CSの決定」「リスク判断」「急変の予兆」などから「心肺蘇生を諦めざるを得なかったところ」まで一連なのです。

 A医師以外の「要因」はないのでしょうか?(番外20と)同じ事故が時期とキャストがかわって繰り返したことはまさに典型的な「組織事故」といえないのでしょうか。

 事故調査の原則はいくつかありますが、この原則に従って「事実経過」(その時主観的に考えたこともふくめて)を記憶の正確なうちに残しておかなければ、数年前心理学会で山内桂子先生がおっしゃった「調査にはいっても、(聞き取り資料など)肝心の情報が何も残っていない」ということになります。

事故調査の目的は(唯一)再発防止(ICAO)

事故調査はの目的は(原因をひとつに断定することでなく)可能性をさぐること(垣本由紀子 元運輸事故調委員、日本ヒューマンファクター研究所)

事故調査報告書は目的が再発の防止であるから、推定原因が含まれる(小林忍)






[番外 その20 組織の隙間・意識の隙間1] で検討したのは以下の7項目でした。

共通しますので、こちらも読んでみてください。

・調査委員会は「チーム要因」に触れなかった
・「運悪く?」誰にも合併症の経験がなかった
・緊急時の対応の組織的体制
・事故・緊急事態を宣言できなかった主治医
・「一点集中」とチーム意識・機能
・組織の硬直化、意識の隙間(組織の隙間)
・隙間に起こっていること (表)

別稿、勉強会資料のRRT,METも参考にしてください