2015年7月4日土曜日

本日のヒヤリハット 「またやっちゃった」 でも、アサーションに助けられ

まあ、簡単な手術の、「簡単な」麻酔。小一時間予定。
患者さんは小さいおばあちゃんだ。


気管内挿管下での静脈麻酔。筋弛緩剤は使用していない。
安定して経過。手術は半分以上進んでいた。ここまではいつもと同じ、順調だ。

ところが、酸素飽和度と心拍を示す音のトーンが変わった。
それまで、100%を示していた酸素飽和度が99⇒93⇒91・・・・・70と見る間に下がっていったのだ。

「あれーっ?」と思いながら、さすがにマニュアル換気に切り替えたが、手の感覚は少し「固い」のでバッグを握る手に力が入る。横の呼気炭酸ガスモニターを見た。異常はないようだ。波形もいいし・・・。が、とりあえず酸素は100%にした。
ところが、マニュアル換気に切り替えたあとから、急に血圧も下がりだした・・・・・70mmHg。「エーッ!?」

一見ボーッとしながら?内心あわてる麻酔医。
そんなことは関係なく手術を続ける外科医。

「何だ、何だ?」という麻酔医に
「先生!呼吸音を聞きますか」と男性看護師
「うーん、そうだな。じゃあ、聞いてみて」と麻酔医

「左の呼吸音が小さいみたいです」(別の看護師)
「えッ 気胸?あっ!いや、挿管チューブが深いかも。22cmだけど20まで抜いてみよう」
チューブに巻きつけられた絆創膏を緩め、チューブを浅くしたところ、少しづつ酸素飽和度が上がってきた。81⇒ 86⇒ 92⇒ 99%・・・ 同期音のトーンも元の高音に戻った。
皆、胸をなでおろした。

「ああ またやっちゃった」
入れ歯をはずしたばあちゃんだった」


・・・・・・・・・・・・・

タイミング良く、アサーテイブな提案をした看護師

気管内挿管が深めだった、ということに加えて、頭部が動いた(未確認)ことで・・・起きたことを、時系列で記述すると

気管チューブが右側に深く入ってしまった
 ⇒片肺⇒低酸素(警報)
(麻酔医は低酸素警報が鳴ったので、反射的に、手押しの換気を強めた)⇒胸腔内圧上昇⇒静脈環流低下+右心負荷⇒低血圧ショック

でも、このエピソードを紹介したのは「またやっちゃった」というヒヤリハットが目的ではありません。この時の看護師のアサーテイブな発言が有効に機能したことで、問題を早期に解決できたと思うからです

「先生、○○したら」「○○は?」と言う問題解決型提案を次々に発して、ともすれば皆が沈黙したり、フリーズてしまう時間をのりこえたと思うのです。
看護師は多くの場合、警報や危険なことに気がついたような場合、そのことは報告しますが、「治療や処置に立ち入った」ような発言・提案はしない傾向にあります。

とくに「呼吸音を聞いてみますか(みましょう)」という提案は、ともすれば表示されているデータ(モニターの数字や波形)だけで判断しようとする傾向になっていることを反省させるものでした。原則にもどって、簡単に原因がつかめたのです。また、麻酔医は過去の経験を、この一言で思い出しました(リマインダー効果?)。(*注1)

「レントゲンを撮って・・・」などといっていたら間に合わなかった可能性もあるのです。

僕自身の経験としては、本当に緊張性気胸だったことがあります。心臓手術の麻酔導入直後で、レントゲンで確認する間もなくトロッカーチューブを挿入しました。そのまま、手術は実施・無事終了しました。原因は前日のCV、TDカテーテルの挿入によると思われました(挿入後のレントゲン写真では問題なかった例です)。

「呼吸管理をしている時の急なショックの原因は 1)気胸・・・・を疑え」という卒業後すぐ救命センターで働いていた時の「先輩の教え」を思い知らされた例でした。今回は、直接動脈圧モニターをしていなかったことも、すぐに原因がわからなかった要因でしょう。

本館の番外22も御覧ください。殆ど同じ失敗でした。

SPO2のトレンドは後日掲載予定


注1.この看護師は特に「片肺」とか「緊張性気胸」とかを意識していたわけではないようです。ただ、原則に戻ってチェックを進めることを考えたということでした。

注2. アサーションを「健全な自己主張」として(私からいうと)「メンタル」に扱っていることが多いのですが、こういうさりげない「仕事上の会話」が私たちが目標としているアサーションなのです。”good job”だったと思います。手術が終わった時に「君のおかげだ。助かった」と麻酔医が小さな声で感謝を表していました。この積み重ねが良い(強い)チームを作るのです。



2015年1月10日土曜日

事始・別館 9-4 達成された安全は人の眼をひかない(4)"マニュアルをこえる”ということ


*このレポートは、私の担当する院内のIG部会の定例会議で業務上の話の終了後、毎回行われているメンバーの「もちまわりワンテーマ」として話されたものです。

 当事者から直接お聞きしたこと(や資料)、あるいはその関係者(同僚)からお聞きしたことのほかに、芳賀先生、小松原先生の講演録からまとめたものです。リンクは今回2015.1.つけましたが、会議時点ではありませんでした。



2012.2.9.IG部会
よい例にはきっと理由があるはずだ?!
この一年、大事故のときにみられた組織と個人のありよう
(マル)の組織

  「(津波から機体を避難させるために離陸したが、津波で基地を失い、指揮系統を失い)孤立した海保ヘリ」の行動:無線がつながらずに本部と連絡がとれない。しかし、不時着した自衛隊基地で本部の指示を待たずに、自衛隊や消防ヘリと救助活動に暗くなるまで携わった。マニュアルは本部から第一線までの指揮系統が生きていることを前提にしていた。高度をかなり上げると通信はところどころ可能となったが、低空では繋がらなかった。隊長は「組織のそもそもの意味を考えると迷いはなかった」(あとで怒られたが「処分は保留」)その他の海保の活動はこちらです。
  JR東と各臨海鉄道線は運転中の27列車が緊急避難の対象となった。各地の運転指令の指示(無線)で列車を止め、避難を訓練どおりおこなった(地震津波は「想定内」だった)。が、一部の列車には無線が悪く指令が届かなかった。現場では「規定」に反して「決められた避難場所」に移動せず高台で停止した列車では地元乗客の意見を受け入れ全員車内に残った。低地で停車した列車は全員そろって高台や避難場所に逃げた。駅もろとも5本の列車が津波に流されたが人的被害ゼロ。(JR東テクニカルレビュー45JR東労組の記録
  本部の指示がないのにありったけのペットボトルを避難所に配って回ったコンビニエンスストアの行動活動のまとめを公開している)
  帰宅難民にビルを開放したり、スープをふるまったレストラン。ロビーを開放し毛布を貸し出した超一流ホテル。
  デイズニーランドの入場者7万人、うち帰宅不能の2万人への対応。5万人まで想定していたマニュアルとキャストの機転(販売している菓子を配ること、配布の順番は決めてあった。しかし、それ以上のことができた。ダンボール、ぬいぐるみ・・)
  指定された避難場所に一旦にげたものの、そこは危険と判断、さらに高台に移動して助かった中学校の判断

  JR貨物:被災地の近くで地震のため停止してしまったコンテナ列車。大半が首都圏むけ北海道の食糧を積載していた。荷主の同意を得て食料品などをそのまま被災地・避難所にJR東社員のボランテイアや災害派遣部隊の協力で運び出した(東北本線の全線再開は40日後だった)。またJR貨物はグループの協力を得て、日本海まわりで燃料の緊急輸送経路(根岸ー新潟ー青森ー盛岡)を開いたり、民営化以後、急カーブと傾斜で貨物車通行の実績のない磐越西線(新潟ー郡山)も南東北への燃料輸送経路として開発した(普段燃料輸送に使用していない各線区の重量計算など大変な作業なはず。JR東が2日で計算し、貨物は適合する機関車・タンク車を全国から集めた)。http://wwwtb.mlit.go.jp/tohoku/td/pdf/2_9.pdf



*もっともっと報道されない素晴らしい対応があったと思われる。
  https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_jishin-higashinihon20120401j-01-w470 (その時、羽田・成田に向かっていた航空機)

(マル)でなかった組織

  薬事法を理由に、震災時に病院間での薬の融通を拒否した病院
  被災自治体の要請がない(「要請すらできない状況」と想像できない)からと、支援物資を送らず、ためこむ役所(県や少し後方の市)。その結果、支援物資の受け付けを中断する自治体(送る側)が続出。
  生徒をマニュアル通りに校庭に並ばせ「待機」させ(避難場所をを学校裏山に逃げようという生徒の候えを無視し)既定の避難場所に向かううちに津波に襲われた学校(調査中)
  「(煙にむせても)火を確認しなければ火事と認識しない」「運転指令の指示がなければ乗客を避難させられない(動けない)」JR北海道(国土交通省はマニュアルの改訂を指示した、が・・マニュアルが問題?)
  「公平」にこだわり、夏が過ぎても配られない募金。募金・義援金の配布能力がないことが判明。また(配布に)「口を出したがる」役人(交付金のつもり?)(寄付した側は白けてしまう。もう二度と日赤に寄付なんてしない実際に働いているNPOにカンパしたほうが良い。その後、私もカンパ先を友人の属しているNPOに換えた
  (ヘリから)ものをなげおろしてはいけない規則。着陸できない場所で食料を孤立した被災者に配らないヘリ(米軍は「バカか?」と見ていた)。ただ、組織によっては違った。石巻市立病院には食料がテラスに投げ込まれた。おかげで、3日目に職員は食料にありついた(在庫の食料はすべて患者の食用として使っていた)。
  災害マニュアルに従い、病院を目指した管理職職員、津波で親子とも流された
  「前例がない」(前例などあるわけがない!)と避難的集団転院を一旦承諾しながら、許可しない(できない)県役人(転院が遅れて危機的になったので県を通すことなく現場とDMAT、自衛隊、ボランテイア・受け入れ施設で集団避難を強行)。福島県の知事・役人のために市町村・病院・介護施設は本当に困ったようだ(受け入れ側、千葉の病院 談)。
  病人を乗せた避難バスの経路を「杓子定規」にとりしまった。2時間のところを12時間かかったような例が頻発。多数の死亡者をだした。

こういうこともあって、組織のありようが見直されている

・いままでの組織の作られ方を簡単に
1)    人 がんばれ、気を引き締めてしっかりやる、先輩を見て学べ、という時代
2)    自動化、マニュアル(仕事を標準化する)と機械できちんと(設備)  大抵これで間に合った。仕事の質も均一化。同じ事をする工場みたいなところにはよいが・・・・
3)  1)2)でかなりよくなったが、それにも限界があることもだんだんわかってきた。

再び「人」へ注目されている
 2)方式は 
  .意欲がわかない
       意欲 :創意工夫、改良、自分の成長(感)・・・
       適度な自己裁量が仕事には必要
  .設備や機械の改善にも限度がある
  .マニュアルが膨大となる
     マニュアルが最も有効なのは、one person―one jobのとき
     「マニュアル学ぶこと」が「仕事」になってしまう
  .状況が変動するような現場、仕事ではでも「足りない」
     定石、SOPはある。しかし「行間」は自分の判断・感覚
  .どんな所にも異常事態はある。
     想定のシナリオや訓練は絶対必要、しかしシナリオ通りになんていかない
  
・「手続き」や「作業」をマニュアルに書くことは難しくない。が、「仕事」「任務」はマニュアルには書ききれない(それを書こうとすると非現実的になる)
・「マニュアルには表わし切れていない行間を読み、自ら考え行動するためには、個々の能力も高くしなくてはいけない。普段何も考えない人が自ら考えて行動するのは博打」 
ここでいう「行間」の意味:自分が属している組織のそもそもの目的、存在意義の理解、「仕事」の大局的理解。日常的なトレーニングが、信頼と価値観を共有する助けになっている。

・(仕事は)行間を読むことで成り立っている?


」の組織と行動の特徴

・ 平時の教育・訓練、ルール、個人の創造力を高めるような学習がされていた

  分権ができる組織 中央集権分権、現場への権限移譲が柔軟、スムーズ、信頼

  信頼と価値感の共有と「自律」。自分たちが何を目的としている組織なのか?
  指揮系統が断たれても、上司がいなくても、明文化されたマニュアルがなくとも、それほど迷わない(ドイツの軍隊の例がReasonの本にのっていた)

100点」を目指すのでなく、「80点を目指し、切り捨てるものも考える」

・最後にその現場で「マニュアル」でなく「正しいと思ったこと」を自分の責任で判 断した人がいた、ことなんだろうね。

・「腹をくくったリーダーとそれに従ったフォロワーシップの好例か?」

最近「組織と人間に対する考え方」が少し変わってきているようだ

・人間をリスクとして考えるのでなく想定外の事象が起きたときなどに、なんとか臨機応変に「やりくり」して、生き延びる能力、損失を減らす能力を持つ存在と考える。

・「×」の組織の悪かったところの分析よりも、「」の組織の事例を重視する、という見方。

・ただ「人に頼る」をやりすぎると1)に戻ってしまう恐れがともなう。「No blame(人を非難しない、罰しない)」かつ普段は2)をしっかりすることが前提。1)とは違う。

・単に「柔軟な組織」というのでなく、柔軟になれる背景がある(上にあげたこと)

・特に、仕事への誇りと組織の価値観の共有(自分たちが何の仕事をしているのか、何のためにこの組織はあるのかを知っていること)。「医療」の場合、指揮系統がなくなっても、その職種の「職業倫理」(団体の「倫理」とは違うと思う)でうごけば問題がすくない?と思うが、それはわからない。

・「危険と隣り合わせのしごと」に携わる人間がこれから目指すのはこういう組織・チーム・人。「弾」とか「しなやかさ」を重視した組織、チームではないのか。いまはやりの?言葉で言うと「レジリエンス」という。泥臭く「現場力」とも言っても良いそうだ。

質問:身の回りで、明文化されたマニュアル・ルールから「はみ出して」というか、「原則」に戻って考えて行動。かえって上手くいった経験とかありますか?また逆はありますか?
 



注:青字はその時のメンバーの発言です

(以下、管理人のコメント)

 定例の会議でこういうことを話題にしてどうなのか?と自分でも思います。ただ、人間を「エラーを起こしやすい、仕事のシステムの中では最も弱い存在」という扱いから、もっと人間の能力に期待しようという流れになってきていることも知って欲しかったのでした。

 明文化されているルールから抜け出ること、も大変ですが、明文化されていない「きまり」と言われることから抜け出る?ことはもっと大変なはずです。ここで挙げた「○」の組織は、腰(腹)の座ったリーダーが、柔軟な発想をして、チームでそれを実行したのだと思います。もちろん、フォロワーシップを発揮できるメンバーもいたのでしょう。

 この1-2年であったことを都合よくいろいろ取り出して、これはレジリエンス、あれはそうではない、などと言っても仕方がないのですが、私の属している組織が(かつて、良い意味ですこし「ユルかった」のですが)最近あまりに「ガチガチ」に思えて・・・話題提供してみました。なにかが残ってくれればと思っています。こういう考え方が、もう少し世の中に広まったときに、外からの情報で変わっていくのかもしれません。「外圧」頼みなのですが・・・(苦笑)


 私が担当しているIG部会という会議はいくつもの部署の責任者による業務の連絡会議のような位置づけです。しかし、それだけでは面白くないだろうと、毎回、持ち回りの司会役が自由なテーマを選び簡単なプレゼンをし、それについて好き勝手なことをワイワイというものです。結論や正解は求めていません。最近のテーマは「部下の話をよく聞く方法」「新しいリーダーシップ」「部下を褒める」「防災マニュアルは実際に使えるか」とか、自分の気に入った本の紹介などでした。

  もうすぐ50回くらいになります。最近、「きれいにまとめる」ようになってきたので、少しやり方を変えなければと思っています。










2014年12月14日日曜日

事始別館 9-2 達成された安全は人の眼をひかない(2)(2014.12.)



 なぜ、なんとかなっているのか?なぜ、事故が起きていないのか?レジリエンスとは?





成功事例に学ぶ

この数年「レジリエンス(弾力性、柔軟性,,回復力などと訳される)工学」という言葉がヒューマンファクターを研究する研究者から提案されています。その一番の特徴は、安全を「失敗から学ぶ」だけでなく「成功事例に学ぶ」という面を強調していることです。

「物事がうまくいかない理由をいうのは、比較的容易なところが問題である。・・・しかし、物事がうまくいく理由を言おうとすると、必要性と十分性だけを求める普通の論理的な説明では表現できない。偶然や状況、個人の要因が非常に大きな役割を果たしているからである」(Reason:組織事故とレジリエンス(Human contribution)

(複雑なシステムにおける人間の位置は)システムの安全を脅かす要素と考えるのでなく、本質的に危険なシステムをなんとかやりくりして、効率性、生産性、コストカットの圧力ともおりあいをつけながら、安全に運転している存在、と考える」(Hollnagel

 これまでの安全対策は、失敗から学ぶ、ということを旗印にしていました。それはそれで悪いわけではないのです。しかし、事故やインシデントがおこった後どうなるかと
考えると、ともすれば・・・・・・新しいマニュアルが増える・・・仕事がやりづらくなる・・・かえって違反が多くなる・・・「マニュアルを覚えること」が目標のようになってしまいます。(掲示板参照)「匿名さん」の投稿以降をお読みください)


 確かに改めて問うとマニュアルが目標とは誰も言いませんが、実際にはマニュアルにさえ従っておけば・・と、どちらかというと仕事の発想が委縮していきがちです。

二つの
安全


 「してはいけないこと」を学ぶ safety 1
 

 「したほうがいいかもしれないこと(なんとかやりくりしていること)」を学ぶ safety 2

一つは、マニュアルがあって、それに従って成し得た安全、つまり事故が起きれば「それに違反したから」おこったのではないか?と考えるもの。もう一つは(マニュアルに記述がない。つまり)想定外のことがしばしばおこっているが、現場の柔軟性、応用力でなんとかやりくり出来ている安全。こちらの方が多いのではないか?事故が起きていないからと言って、想定内のことだけが起きているわけではないだろう、という考えです。
 言い方を変えると、前者は「失敗を減らして安全」、後者は「成功する率を増やして安全」ということです。

 後者が機能的に働いている状態をレジリエントといい、「なぜうまくいっている(事故にいたらない)のか?」を現場に入り調査し、仕事の実態・実相を知ることが必要なのではないか?そこから学ぶものも多いのではないか?「事故がないとき」だって必ずしも「順調だった」わけではないだろう,と考えるのです。
 ですから、病院であれば、最新の機械と、多数の手作業の業務が入り混じり、複雑な人間関係や仕事の対象である患者さんの自身の状態も不安定・・・というこみいった状況のなかで、結果的に「"柔軟な対応"が成功しているとき、それを褒めるだけではいけない」(芳賀)といいます。

 本当はそこにリスクがあるのではないか?現場でどのような調整(アジャストメント)が行われているのか、どのような行動パターンがとられているのか、と考え確実性を増す様な「手を打つ」、このことが求められているのではないか?それが「失敗から学ぶ」という後ろ向きの対策から一歩踏み出すこと(第2の安全)ではないのか?というのです。図はホルナゲル博士の講演から。





レジリエンスとヒューマンファクター

 数年前に私自身が「レジリエンス」という言葉を始めて知った時、「弾」という「日本語」があったりしたので、面白そうだなとは思っていましたが「ヒューマンファクターズ」をこえる新しい概念とも思いませんでした。

 多分、学問というのは「あっちに振れたり、こっちに振れたり」、それこそ微調整しながら進歩していくものですね。私自身は「もっと、人間に頼るヒューマンファクターズ」を考えていました(講座28)ので、「少し、人間の側に振れた(戻った)?のかな」と考えました。

 同じように考えているHF研究者もいるようです。

 「そもそも、ヒューマンファクターズは、人間の存在を中心に据えて周りを見ていこうとしている学問で、人間の機能や効果をどう捉えるかという意味で、限定されるものではないと考えています。人間の機能や限界、効果(影響)の捉え方をどう考えるかの違いであったり、補完的・追記的な部分の説明関数として、「レジリエンス」も出てきているのだろうと思っています。リーズンの本の原題も「human contribution」で、人間を性善説から捉えています」(Hさん 私信)


 当院の事例だけでなく、想定されたマニュアルでは対処できない時(そもそも、まったくマニュアルの通りなんてありえません
)、場合によってはそれに「違反したような」現場の対応で「安全」が保たれた(目的を達した)例はたくさんあると思います。


★(2012.2. IG部会のレポート参照)3.11.のJR東日本運行列車のマニュアルに沿わない行動で人的被害「ゼロ」のケース、基地を失い通信も途絶し、孤立した海上保安庁ヘリが独自に救助活動を継続したケース(あとから怒られたらしい)、立ち往生したコンテナ列車の食料を(荷主の同意のもと)食糧支援に転用したJR貨物の機転、病院の体制を災害救急に切り替え、被災者に対応した例、などが報告されています。

必ずしも「失敗」や「事故」がなくとも、「安全を脅かす要因」や、それを「日常の中で何とか調整している人間の対応」を(事故になる前に)学んでいくことはレジリエンスであれなんであれ必要だと思います。

 

★昨今、「コンプライアンス」が云々されたことがあります。しかし、コンプライアンスというのは、そもそも「社会に期待された行動をすること」という意味で「=法律を守ること」ではないそうです(郷原氏)。法律でも現場のレジリエントな行動にはガチガチの法律を適用しないという考えかたもあるようですが、いまだ少数派のようです。

「現場で対応しすぎる」問題点やReason教授の「余人をもって代えがたい人々」については引き続き考えたいと思います。


この項かきかけです

事始・別館4「火事場の馬鹿力か?レジリエンスか?」もご覧ください
*参考書「レジリエント・ヘルスケア」2015(E.ホルナゲル 「解読中」)
*参考書「ヒューマンエラーを理解する」2010(S.デッカー)













事始別館 9-1 達成された安全は人の目を引かない(1)(2005.7.)


2005年にHF講座に以下の文章を掲載しました(番外13が、このテーマはこの数年、医療分野の安全でも取り上げられる「レジリエンス」とも共通するように思います。ひきつづき、考えてみます(9-2、9-3,9-4
 
達成された安全は人の眼をひかない(1)(2005.7.)

~9999人が正しいことをした~


 いわゆるインシデントレポートは(多かれ少なかれ)何かが起こってしまった、その当事者は(多くは)自分だ、というわけでどんなに無罰報告制度だといっても提出を躊躇させるものがあります。


 ところが、事故発生の確率が10000回に1回として、じゃあ起きなかった9999回は、誰かが何か正しいことをした、(予期せぬ)緊急の事態が発生したが優れた判断と技量で事なきを得た、と考える発想があります。そこから得られるものだってインシデントレポートや事故の教訓と同等かそれ以上の価値があるのではないか、という考え方です。


 その特徴を考えてみます。全くの思いつきですが・・・。

1) 良好事例は積極性を呼ぶ

 インシデントや事故の分析から得られるものはどちらかというと(もちろん機器やシステムの改良もありますが)「あれをしないように」「○○にならないように」といった「後ろ向き」「規制的」なものになりがちな印象があります(場合によっては、より働きにくくなる)。ところが良好事例からもの考えるということは、もっと人間の能力や特性を生かす、という意味でより組織に「積極性」を与えることが出来そうです。


2) 良好事例のほうが多い

 当然、「何も起きなかった」良好事例のほうが多いわけですから教訓となる事例が必ずあるはずです。


3) マニュアルにない(あらわすことができない)経験の共有は組織の潜在力となる可能性がある

 失敗経験の共有(失敗から学ぶ)も「安全・確実」に事をおこなう、「危険をさける」という意味でもちろん大切ですが、「成功経験」「良好事例」の経験を共有することで何かが起きたときにも希望を最後まで捨てずに頑張ることが出来るかも知れません。工学系の話ですが「失敗学」の畑村先生は成功例を「闇夜の灯台」と表現しています。私達の世界だって、(いまや「エビデンス」ばやりで、大規模臨床試験でなければ価値がない、かのような風潮がありますが)「成功例」「症例報告」の存在は、すくなくとも「あきらめない」という根拠になりますし、悩める現場の人間(医療者ばかりでなく患者さんも)を勇気づけることもできます。


4) 「あつめること」が以外と難しいかもしれない

 日本人的感性からすると、自分の成功経験を積極的に他人の前で話すようなことは(「自慢」とうけ取られることを嫌い)あまりなじまないかも知れません。その結果ケースが集まらないおそれもあります。「良いことをした自分自身」も気が付いていない場合だってあります。


HFの眼(耳?)をもって聞き出す


 また、あまり時間をおくと「枝葉末節」が取り除かれ、格好のいいところだけが(本人の)記憶に残ってしまうことになります。そうすると本当に単なる「昔の自慢話」になってしまったり、「○○には◎△!」といった短絡的な教訓として記憶に残ってしまうおそれがあります。ですから記録する私達は、どういう事態が発生し、どんなふうにして気が付き、そのときの内面的な感情も含めてそれをどのように理解し、どんなふうに解決しようとしたのか?をHFの眼(耳?)をもって聞き出す必要があります。


「達成された安全は人の注目を引かない」しかし・・・


 達成された安全は人の眼をひきません。

 滑走路では航空機が2分をおかずに離着陸を繰り返し、JRの遅延は全国平均1分以下だといいます(首都圏ではより少ない)。私達の職場でも何気なく手術室にはいり、何気なく(時々はバタバタしますが)病棟やICUに戻ってきます。

 しかし、このことは100%確立されたシステムが当たり前に稼働している、ということを意味しているのではありません。そこでは(「危険の海」の中にあって)だれかが(9999人)正しいことをしたから、正しい(よい)判断をしたから、飛行機は無事着陸し、新幹線は定時[1]のまま「死亡事故ゼロ」を続け、手術室から患者さんは戻ってくるのです。

 「達成された安全」はともすれば見過ごされ、誰からも注目されることはありません。しかし、その中にもインシデントや事故の分析以上に得られる教訓があるはずです。エラーとその要因ばかりを追っているように思われがちなヒューマンファクターズですがこういう「積極的」な見方もあるようです。


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 「ご苦労さん」「大変だったね」という前に・・・・

 当直や夜勤をしていて、夜中に患者さん(の状態)が落ち着かなかったり、急変が起こったり、緊急手術になったりということはそれ程珍しいことではありません。朝までには何とか落ち着いたとして、朝、現れた管理者がいう言葉は(まあ心がこもっているかどうかは別として)こんな言葉です。そして、大抵それで終わりです。管理者としては「結果的に何も起こらなかった」からそれでいいのです(連載の「管理者の・・・」も読んで下さい。本当はそれ以上に興味はない事が多い?)。しかしこんな他愛のない「成功経験」からだって得るものはあるはずです。「どうして気がついたか?」「急変したときにまずなにを考えた(しようとした)か?」「人数の少ない夜勤(当直)人数でどう対応したのか?どう動いたのか?(ワークロードマネージメントですね)」「もっと何があればよかったと思うか?」などなど話してもらう事はたくさんあります。[2]

 事故やインシデントの例をあげ「○○に気をつけて下さい」も大事ですが現場の小さな「成功例」「危機脱出例」「失敗回復例」を率直に報告してもらうのも、チームのパフォーマンスを強化することにつながります。


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[1] この原稿を書いた後で福知山線の事故がありました。「定時への圧力」や「回復運転」が問題になっていますが、そこで働く人間に負担がかかるような形の「定時運転」はエラ―の誘因となることはあきらかです。ここではそれに耐えて頑張れといっているわけではありません。それほど負担のない日常業務の中でも、想定外(内)の突発的な危険因子は降りかかっており、それを想定しています。

 福知山線事故に関しては、「運転士のスピ―ドオ―バ―が原因か?JR西日本の体制か?」などという漠然とした話ばかりでなく、台車や異常な共振などのハ―ドの面からもきちんと調査して欲しいものです。


[2] 実は一度だけこういう調査をしたことがあります。真夜中にあるトラブルが発生し場合によっては最悪の場合一度に数名死亡となり得た事態でした(結果的には無事)。その調査をする時に、VTAはよく知らなかったのですが横軸に時間、縦軸に人、患者、物をおき、その時何が起き、どんなふうに感じ、どのように行動したか、そして相互の関連は?というような記録を作っていったことがあります。それをもとに(ほんの少し脚色した?)ドキュメントをつくり院内LANに載せました。また、「良いことをしたときにはみんなの前で誉めるべきだ」と院長に答申して、その時の夜勤チーム(看護婦ばかりでなく、駆けつけた技師やボイラーマンまで)を公の場で表彰してもらいました。教訓としてここで書くことの出来るような「1.何々・・」とはなりませんが、ある突発的事態が起きたときの状況認識、チームの作り方、業務の分担、リーダーシップがうまくいった例だと思います。

 「ご苦労さん」というねぎらいも大事ですが、(表彰もふくめて)「記録(+記憶)に残す」「知識化する」ことはもっと大切だと思います。(そうでなければ、「知らないうちに、みんながよくやってくれて、結果的に被害が何も起きなかった」ことなど管理者は簡単に忘れます)(2005.7.記事アップ)


2014年11月17日月曜日

講演会のおしらせ 2014.12.13. 「ヒューマンエラーと懲戒処分」




所属しているMLから講演会のお知らせがありましたので転載します。
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日本人間工学会安全人間工学研究部会、産業組織心理学会作業部門研究会、日本認知心理学会安全心理学研究部会と共催で研究会を開催致しますので、ご案内申し上げます。
日時:平成261213日(土)1400分~1630
場所:お茶の水女子大学 共通講義棟2号館102(〒112-8610 東京都文京区大塚2-1-1
テーマ:ヒューマンエラーと懲戒処分

概要:
 国道交通省の航空局は、「誠意を持って働いている中でおかしたエラーについては報告させて対策をとることを優先し,人事処罰等の不利益扱いは行わない」という方針を航空各社に求めています。航空大手では、日本航空がいちはやく2007年にヒューマンエラー非懲戒の方針を宣言したのを初めとして、全日空などでも同様のポリシーを定めています。鉄道業界でも同様の検討を始めた事業者もあります。

 このような方向性は、安全問題の専門家の間で何十年も前から共有されてきた「ヒューマンエラーは原因ではなく結果である」という考え方に一致するもので、エラーをおかした本人からの正直な報告にとって重要な要素ともなります。
 しかし、一方で、組織の人事を預かる部門の立場からは、非懲戒では社内の規律が保てないという意見も多く,現場の安全担当部署は社内の意見をとりまとめるのに苦労をしているのが現状だとも聞きます。

 本研究会においては、このようなヒューマンエラーと懲戒処分の関係について、現場の実態について作業部門に関連する話題提供、人事部門に関連する話題提供をいただくとともに、ヒューマンエラー非懲戒の問題に深い関係のある組織的公正について作業部門からの知見、さらに、法律家の立場の知見等を踏まえつつ、部門横断的に議論を深めたいと考えています。

司会:立教大学現代心理学部 芳賀 繁
講演者:
日本航空()767機長 和田 尚
中部電力()知多火力発電所技術課長 榎本 敬二
東海大学法学部 教授 池田 良彦
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 准教授 林 洋一郎
参加費は無料、参加申し込みも不要です。
 



 
 

2014年11月3日月曜日

事始別館7  フォロワーシップ



あなたには「頼りになる同僚」「いざというときにあてになる後輩」はいますか?
あなたのチームは「生き生きとまわって」いますか?

講座24でリーダーシップを考えました。 研究者によってリーダーシップにはさまざまな定義がありますが、このHPでは「リーダーシップ」を「チームの目標達成に向かって、チームに影響を与える行動や働き」として話をすすめてきました。

 具体的なリーダーシップ行動は 1)展望を示す 2)方向性を示す 3)チームが協働する状態を作る 4)チームを維持する 5)チームのレベルを維持する 6)メンバー個々のニーズを知る、などさまざま言われています。

 しかし、そもそもメンバーがいなければリーダーもリーダーシップも存在しません。そして、あなたの発揮するリーダーシップも「頼りになる後輩」の存在があってはじめてチームとして廻っていくことになるのです。
と、いうわけで、今回は チームメンバーである「フォロワー」について考えます。


フォロワーシップとフォロワー



 フォロワーシップとは、ここでは「部下の側から生じる管理者のリーダーシップへの影響」と定義します。

 リーダーはチームの目的を達するためにメンバーに、いろいろな働きかけをします。そして目的に向かって上記のようなリーダーシップが適切に発揮されたとき、メンバーは納得し、「共感」が生まれ、自発的にチームのために目標に向かう行動が生まれます。これをフォロワーシップといいます。

 ところが地位や権力を背景にして,場合によっては「報酬」や「取引」、「命令」「脅し」などの手段を使って、いうことを聞かせる、というリーダーからの働きかけもあります。これをヘッドシップといいます。従うものを単に「フォロワー」といい、リーダーシップが発揮された場合に得られる、自発的な「フォロワーシップ」とは区別されます。

 また、単に「どうすればいいんですかー」とか「ネットで安直に”こたえらしきもの”を探し飛びつく」などといった、問題に主体的にかかわらないタイプも「フォロワー」といえます。
 
この関係を簡単に書くと以下のようになります。
  リーダーシップーー納得、自主、自立、共感ーーーーフォロワーシップ 
  ヘッドシップ  ーー地位、物、脅しーーーーフォロワー

ヘッドシップが必要な場合もあることはあとで述べます。

リーダーシップとフォロワーシップ



リーダーの資質
リーダーシップを発揮しようとするリーダーに必要なのはどんな資質でしょうか(講座24)


1)「仕事の全体像」を把握していること:技術的な(仕事上の)知識を何でも枝葉末節まで「一番知っている」必要はないと思いますが、全体像はきちんと押さえていることが必要です。仕事の知識も「平均以下」では「論外」です。

2)コミュニケーション能力:コミュニケーションに関しては昨年のCRMセミナーで述べました。

3)状況認識

4)リソースの準備と活用

5)協調性とワークロードマネジメント

6)意思決定:最後はきちんと(自分で)「決断」する


 これらを身に付けた「生まれついてのリーダー」などほとんどいません。また、私や貴方のように、「歳をとったから」、「経験が多いから」といってリーダーシップが身についているとも限りません。ですから、私や貴方のような「凡人」は「目的をもった訓練」で、良い・有効なリーダーシップをなんとか身に付けることが必要なのです。


フォロワーシップ  



リーッダーシップを分担する

 リーダーシップはリーダーだけが発揮するものではありません。チームの目標に向かってメンバーも場合によってはリーダーシップを発揮し、その場合にリーダーもフォロワーシップを発揮していくことにより、チームの目標達成に向かうパフォーマンスが向上していきます。
 FAAMRMハンドブックに「リーダーシップの分担」という項があります。正式のリーダーがいてもメンバーの一人一人が時と状況によっては責任を分担すべきだ、というのです。これは我々の現場でも同じです。


 「私のほうが詳しいのに・・・」と密かに不満を持ちながらリーダーの「ヘンな指示」に仕方なく従う、なんて事じゃなく、「○○はこうしたほうがいいと思います。私、このこと調べてありましたので・・」と明るく提案し、リーダーシップを分担する、ということです。

 また「リーダーシップの分担」をマネージメントできるリーダーはリーダーシップがある、ともいえます。「権限の移譲」はリーダーシップにとって重要な要素だからです。こうして「チームがまわっていく」ことによりチーム全体のパフォーマンスが上がっていくのです。

リーダーへの信頼の上に客観的に見る力

 リーダーだって万能ではありません。人間ですからエラーもしますし、疲労や内外のストレスからも無縁ではないのです。 ですから、いつでも、なんでもリーダーについてさえいけばよい、というものではありません。リーダーへの信頼の上に、良質な見解、率直な懸念・疑問を表現できること。よい情報も、悪い情報もタイミング良くリーダーに報告できることが、求められます。

 フォロワーシップを発揮していくためには、自立していること、自分の見識や倫理観をもっていること、能動的・自覚的にリーダーについていく、という選択をしていることが必要なのです。


時に必要なヘッドシップ の行使


 では、リーダーによる命令的なコミュニケーションとしてのヘッドシップは常に「悪」なのでしょうか?(共感や納得を得るための)説明をしている余裕がない時、切迫した事態のとき、目標構造のレベルを明らかに取り違えているときなどには、ヘッドシップを発揮して、きっちりと命令する必要があります。リーダーシップは時に使い分ける必要があるのです。
 リーダーの権威、権限はそのためにもあるのです。

以前のCRMセミナーのTAG(権威勾配)の資料も参考にしてください。
 

(まだかきかけです)
          



2014年10月19日日曜日

事始別館 2-2 注意が「一点集中」になってしまう



私たち人間の「注意力」は「目立つものに引かれる」という特徴があります。そして、「一つのことに集中すれば周囲が見えなくなる」ということも・・・(本館の「HF講座」)



「注意」を引くべく目立たせようとするのでしたら、それはそれでいいのです。大事なところの色を変えたり、警報を真っ赤なランプにしたり・・・心理学的にも有効なのでしょう。


ところが、前項(別館 2-1)のように医療機器の進歩で、本来チームで適切に分散・活用されるべき注意力が、過度に「一点集中」させられてしまう状況が多くなっているのではないか、と感じます。そしてそこには人間の注意力の限界や特性、使用される現場の状況といったヒューマンファクターへの配慮がないまま、新しい機器で「出来るから始める」というふうになってはいないのか、という不安です。


「舞台設定」


今回(2-1)は内視鏡(大腸)の検査・処置に伴う事故例を話題にしました。しかし、他にも同じような「舞台設定」はあります。カテーテルインターベンション、内視鏡手術、 腹腔鏡、胸腔鏡による手術、ダビンチ(ロボット)手術(まだ見たことはないですが)、顕微鏡手術・・・・。


上部消化管の検査でも、たまたま自分の関係している患者さんで高齢でしたので覗いてみたら、呼吸が止まりそうになっていた、などということもあります。


「一点集中」を加速する要因


「皆がそれぞれの分担した任務をきちんとはたしていれば、そんなことはないはず」。私が問題化すると皆そう言います。「ちゃんとすれば・・・」と。
ところが人間はそう機械のようにはうごきません、「うまくいって欲しい」「早く終わって欲しい」と願うほどある一点に集中してしまいがちです。これが時に弱点にもなります。 


1.   周囲は暗く、画面だけがギラギラ明るいなど、物理的環境。注意が引き付けられるだけでなく、いざ見ようとしても「暗順応」が遅くなる。


2.   トラブルを起こしている(順調に進んでいない)とき、予定外の事象が発生しているような時。メンバーの意識が皆「術者」(そのことだけに集中)になってしまう。


3.仕事の分担と協調が不適切
 誰が何を見ているか?特に2-3人でする仕事の場合、分担など打ち合わせが不明瞭になりがちです(「二人は危ない」参照)

 人が足りない、という言い方もときどきされますが、「配置」の必要を認めないから配置がされないとも考えられます。患者への評価が実際にはされていないから、準備(人)もされていないのではないかと。
 評価は病巣の評価よりも、全身状態の評価をすべきです。例えば「大腸がん疑いの女性。83歳」というプレゼンよりも「ヨロヨロのバアチャンが、2日前からイレウス」と言った方がわかり易く→警戒することになります。


4.モニター表示の錯覚など
 例えば内視鏡をしていても、大抵は正常に推移し、何も起こりません。心電図や酸素飽和度のモニターを見ていても、見ていなくとも結果は同じ。だから?つい(悪意はなくとも)「見ていない」 ことが多くなります。



10分前の値?:
 モニターは記録は残りますが、リアルタイムでみて、判断していることに価値があります(あとは警報です)。事故の記録の分析が目的ではありません。CVRではないのです。

 そこで大事なのは「表示されているのがリアルタイムの値かどうか?」ということです。

 間歇的に測定されるものは、その「過去の測定値」がある時間そのまま表示されています。その表示が見えるので「まだ○○だ。大したことない値だ」と,せっぱつまっている場合ほど、都合よく解釈して安心してしまうことがあります。その表示が実は3分とか5分前の値だったりするのですが、そのことに気がつくのに案外時間がかかるのです。私もだまされることがしばしばです。

 これに対してリアルタイムで表示されているのはパルスオキシメーター、心電図、動脈カニュレーションがされていたり、トノメトリーであったら動脈圧、呼気終末炭酸ガス濃度などでしょうか。

デジタル表示とアナログ表示 :
 もうひとつは表示されている生体情報(=安全情報)モニターが「数字」というデジタル表示か、「波形(+数字も表示)」というアナログ(だからリアルタイム)表示か、という問題です。一般には間欠的表示である「デジタル」よりも、推移も感じられる「アナログ」表示のほうが、とくにクリティカルな場合に「状況認識」がしやすいと言われています(ハイテク機に乗るベテランパイロット)。 



コンプラセンシー:モニターを装着するのはよいのですが、きちんと装着されていたか?という基本的な問題もまたあります。装着だけして、見ない、有効かどうかを考えない使用法(センサー類装着)も「いざ」と言う時に役に立たずあせることになります。付けてある、という安心感(自己満足)


誤報慣れ
 生体に装着するセンサーは、他の機器の影響を受けたりしたり、装着部位の問題から必ずしも安定して表示できているわけではありません。最も大きな要因は体動で、かなりの頻度で「警報」が鳴ることになります。鳴っては「警報の一時解除」ボタンを押す、という繰り返しになります。毎回、アーチファクトであることを確認しなければなりません。これも「99.99%は、なんともない」のです。その結果「またいつものあれだよ」とか、「ちょっと測定できていないだけだ」と都合よく解釈してしまうことになります。

間接ビジランス(監視業務)の問題
 モニターなどの器械を介して見ている、ということはビジランスにとっては間接的になっている、ということになります。手がかりが「ある値(デジタル)を超えたとき」とかに限定されて表示されることになります。センサーは一つか二つです。「予兆」とかいった、かつて現場に期待された働きができなくなっているのです。例えば「顔色・表情をみる」などというアナログな、しかし総合的な情報は伝わらなくなっています。


本来の「注意力」を取り戻すために


 「注意が一点集中」してしまう状況は、暗い環境にある明るい画面ばかりとは言えません。原因が「感覚器としての眼」の問題でなく、「脳の注意資源の配分」「チームの注意資源(協働)の配分」の問題だからです。明るい環境でもおこります。

☆「錯覚の科学」(文芸春秋)に注意資源の配分の問題として、有名な「invisible Gorilla」のほかに、えひめ丸が目に入らない潜水艦や、航空のヘッドアップデイスプレイ(注)のために滑走路誤進入に気がつかない例、自動車運転時に目に入らないバイク、想定されていない病気(や異物)を見逃すレントゲン読影など、「見えているのに、見えない」例が載っています。

警報の工夫
 音・光の警告の工夫(警報を切ってはいけない)、警報(モニター)の多重化より多様化により警報(情報)の「信頼性」を向上させる。これは「人」による情報でも同じ。悪いほうの情報を基準に考えるのも危機管理の原則。

「STOP&スキャン」

 いったん現在していることを止めて、周囲を見渡し、(場合によってはチェックリストを使用)いくつかの基本的事項を確認すること、をいう。
その時、医療であれば画面・モニターより患者を自分の眼でみる、ことが必要。

共同でなく「協働」:

 仕事の分担と責任、重なりを再確認。一般的にはリソースを集中させるのですが、場合によってはあえて分散させることも必要。




 良好事例:「何か変だ」宣言


良好事例を紹介します。「注意の一点集中」だけではありませんが「一点集中」を予防し、問題を解決していったケースです。


 「HF講座番外その22に掲載されている手術時のトラブル発生時の、危機回避例です。
 術野外で発生したトラブル(当初は原因不明)のために、術中突然低血圧となり、麻酔担当医が、「何か変だ宣言」をし、術者に術式の変更(多部位当該部位・簡略化)を提案し、原因を探索しながら手術をする・・・という経過です。


(以下引用)原因探索チ-ムと現状維持チーム(全体をモニターしたり、とりあえず手術を続ける)を分ける・・・

「何か変だ宣言」は良いのですが、場合によってはみんなが「そのこと」に一点集中してしまうと新たなトラブルにむすびつきます。原因探索をするチ-ムと手術を続けたり(止めてしまうと危ないこともある)、患者全体をモニターしたりするチ-ムの役割分担を再確認すること(「○○さんはモニターを読み上げて!」とか、「術者はゆっくり手術を続けて」など)が必要です。(引用おわり)


 手術中に「何かおきている」ことを比較的早期に発見し、チームに宣言。手術室のチームが危機の認識を共有できたところで、全員が「一点集中」しないように、業務の割り振りをおこなうことが出来た例です。


注 ヘッドアップデイスプレイは航空機だけでなく自動車にも応用されつつありますが、人間は「脳で見ている(認知)」ことを忘れているような気がします。


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今回はチームが「注意の一点集中」に陥ってしまう問題を考えました。この連載にご意見・ご教示をお願いします。