なぜ、なんとかなっているのか?なぜ、事故が起きていないのか?レジリエンスとは?
成功事例に学ぶ
この数年「レジリエンス(弾力性、柔軟性,,回復力などと訳される)工学」という言葉がヒューマンファクターを研究する研究者から提案されています。その一番の特徴は、安全を「失敗から学ぶ」だけでなく「成功事例に学ぶ」という面を強調していることです。
「物事がうまくいかない理由をいうのは、比較的容易なところが問題である。・・・しかし、物事がうまくいく理由を言おうとすると、必要性と十分性だけを求める普通の論理的な説明では表現できない。偶然や状況、個人の要因が非常に大きな役割を果たしているからである」(Reason:組織事故とレジリエンス(Human contribution)
「(複雑なシステムにおける人間の位置は)システムの安全を脅かす要素と考えるのでなく、本質的に危険なシステムをなんとかやりくりして、効率性、生産性、コストカットの圧力ともおりあいをつけながら、安全に運転している存在、と考える」(Hollnagel)
これまでの安全対策は、失敗から学ぶ、ということを旗印にしていました。それはそれで悪いわけではないのです。しかし、事故やインシデントがおこった後どうなるかと考えると、ともすれば・・・・・・新しいマニュアルが増える・・・仕事がやりづらくなる・・・かえって違反が多くなる・・・「マニュアルを覚えること」が目標のようになってしまいます。(掲示板参照)(「匿名さん」の投稿以降をお読みください)
確かに改めて問うと”マニュアルが目標”とは誰も言いませんが、実際には”マニュアルにさえ従っておけば・・”と、どちらかというと仕事の発想が委縮していきがちです。
二つの安全
「してはいけないこと」を学ぶ safety 1
「したほうがいいかもしれないこと(なんとかやりくりしていること)」を学ぶ safety 2
一つは、マニュアルがあって、それに従って成し得た安全、つまり事故が起きれば「それに違反したから」おこったのではないか?と考えるもの。もう一つは(マニュアルに記述がない。つまり)想定外のことがしばしばおこっているが、現場の柔軟性、応用力でなんとかやりくり出来ている安全。こちらの方が多いのではないか?事故が起きていないからと言って、想定内のことだけが起きているわけではないだろう、という考えです。
言い方を変えると、前者は「失敗を減らして安全」、後者は「成功する率を増やして安全」ということです。
後者が機能的に働いている状態をレジリエントといい、「なぜうまくいっている(事故にいたらない)のか?」を現場に入り調査し、仕事の実態・実相を知ることが必要なのではないか?そこから学ぶものも多いのではないか?「事故がないとき」だって必ずしも「順調だった」わけではないだろう,と考えるのです。
ですから、病院であれば、最新の機械と、多数の手作業の業務が入り混じり、複雑な人間関係や仕事の対象である患者さんの自身の状態も不安定・・・というこみいった状況のなかで、結果的に「"柔軟な対応"が成功しているとき、それを褒めるだけではいけない」(芳賀)といいます。
本当はそこにリスクがあるのではないか?現場でどのような調整(アジャストメント)が行われているのか、どのような行動パターンがとられているのか、と考え確実性を増す様な「手を打つ」、このことが求められているのではないか?それが「失敗から学ぶ」という後ろ向きの対策から一歩踏み出すこと(第2の安全)ではないのか?というのです。図はホルナゲル博士の講演から。
「物事がうまくいかない理由をいうのは、比較的容易なところが問題である。・・・しかし、物事がうまくいく理由を言おうとすると、必要性と十分性だけを求める普通の論理的な説明では表現できない。偶然や状況、個人の要因が非常に大きな役割を果たしているからである」(Reason:組織事故とレジリエンス(Human contribution)
「(複雑なシステムにおける人間の位置は)システムの安全を脅かす要素と考えるのでなく、本質的に危険なシステムをなんとかやりくりして、効率性、生産性、コストカットの圧力ともおりあいをつけながら、安全に運転している存在、と考える」(Hollnagel)
これまでの安全対策は、失敗から学ぶ、ということを旗印にしていました。それはそれで悪いわけではないのです。しかし、事故やインシデントがおこった後どうなるかと考えると、ともすれば・・・・・・新しいマニュアルが増える・・・仕事がやりづらくなる・・・かえって違反が多くなる・・・「マニュアルを覚えること」が目標のようになってしまいます。(掲示板参照)(「匿名さん」の投稿以降をお読みください)
確かに改めて問うと”マニュアルが目標”とは誰も言いませんが、実際には”マニュアルにさえ従っておけば・・”と、どちらかというと仕事の発想が委縮していきがちです。
二つの安全
「してはいけないこと」を学ぶ safety 1
「したほうがいいかもしれないこと(なんとかやりくりしていること)」を学ぶ safety 2
一つは、マニュアルがあって、それに従って成し得た安全、つまり事故が起きれば「それに違反したから」おこったのではないか?と考えるもの。もう一つは(マニュアルに記述がない。つまり)想定外のことがしばしばおこっているが、現場の柔軟性、応用力でなんとかやりくり出来ている安全。こちらの方が多いのではないか?事故が起きていないからと言って、想定内のことだけが起きているわけではないだろう、という考えです。
言い方を変えると、前者は「失敗を減らして安全」、後者は「成功する率を増やして安全」ということです。
後者が機能的に働いている状態をレジリエントといい、「なぜうまくいっている(事故にいたらない)のか?」を現場に入り調査し、仕事の実態・実相を知ることが必要なのではないか?そこから学ぶものも多いのではないか?「事故がないとき」だって必ずしも「順調だった」わけではないだろう,と考えるのです。
ですから、病院であれば、最新の機械と、多数の手作業の業務が入り混じり、複雑な人間関係や仕事の対象である患者さんの自身の状態も不安定・・・というこみいった状況のなかで、結果的に「"柔軟な対応"が成功しているとき、それを褒めるだけではいけない」(芳賀)といいます。
本当はそこにリスクがあるのではないか?現場でどのような調整(アジャストメント)が行われているのか、どのような行動パターンがとられているのか、と考え確実性を増す様な「手を打つ」、このことが求められているのではないか?それが「失敗から学ぶ」という後ろ向きの対策から一歩踏み出すこと(第2の安全)ではないのか?というのです。図はホルナゲル博士の講演から。
数年前に私自身が「レジリエンス」という言葉を始めて知った時、「弾」という「日本語」があったりしたので、面白そうだなとは思っていましたが「ヒューマンファクターズ」をこえる新しい概念とも思いませんでした。
多分、学問というのは「あっちに振れたり、こっちに振れたり」、それこそ微調整しながら進歩していくものですね。私自身は「もっと、人間に頼るヒューマンファクターズ」を考えていました(講座28)ので、「少し、人間の側に振れた(戻った)?のかな」と考えました。
同じように考えているHF研究者もいるようです。
「そもそも、ヒューマンファクターズは、人間の存在を中心に据えて周りを見ていこうとしている学問で、人間の機能や効果をどう捉えるかという意味で、限定されるものではないと考えています。人間の機能や限界、効果(影響)の捉え方をどう考えるかの違いであったり、補完的・追記的な部分の説明関数として、「レジリエンス」も出てきているのだろうと思っています。リーズンの本の原題も「human contribution」で、人間を性善説から捉えています」(Hさん 私信)
★(2012.2. IG部会のレポート参照)3.11.のJR東日本運行列車のマニュアルに沿わない行動で人的被害「ゼロ」のケース、基地を失い通信も途絶し、孤立した海上保安庁ヘリが独自に救助活動を継続したケース(あとから怒られたらしい)、立ち往生したコンテナ列車の食料を(荷主の同意のもと)食糧支援に転用したJR貨物の機転、病院の体制を災害救急に切り替え、被災者に対応した例、などが報告されています。
必ずしも「失敗」や「事故」がなくとも、「安全を脅かす要因」や、それを「日常の中で何とか調整している人間の対応」を(事故になる前に)学んでいくことはレジリエンスであれなんであれ必要だと思います。
★昨今、「コンプライアンス」が云々されたことがあります。しかし、コンプライアンスというのは、そもそも「社会に期待された行動をすること」という意味で「=法律を守ること」ではないそうです(郷原氏)。法律でも現場のレジリエントな行動にはガチガチの法律を適用しないという考えかたもあるようですが、いまだ少数派のようです。
「現場で対応しすぎる」問題点やReason教授の「余人をもって代えがたい人々」については引き続き考えたいと思います。
この項かきかけです
*事始・別館4「火事場の馬鹿力か?レジリエンスか?」もご覧ください
*参考書「レジリエント・ヘルスケア」2015(E.ホルナゲル 「解読中」)
*参考書「ヒューマンエラーを理解する」2010(S.デッカー)
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