医療安全「ヒューマンエラー対策」から「しなやかな安全」へ?

~レジリエンス・エンジニアリングの紹介 (1) 

                 

はじめに


レジリエンス・エンジニアリング(RE)とは,2006年ころデンマークのヒューマンファクター研究者エリックホルナゲルらによって提唱された考えである。「レジリエンス」とは,「弾力性」とか「回復力」「しなやかで折れにくい」といった意味をもち,「エンジニアリング」とは,日本語の「工学」から連想される狭い意味ではなく、「創ること」、「工夫すること」というニュアンスを含んでいる。ホルナゲルはREにおける安全を「システムが想定された条件や想定外の条件下でも要求された動作を継続できるために、自分自身の機能を、条件変化や、外乱の発生前、発生中、あるいは発生後において調整できる本質的な能力のこと」と定義している。近年、この考え方が医療安全にも導入されつつある。


 

医療安全の歴史


医療界では1999年「横浜市立大学病院での患者取り違え事故」を契機に、次々と「医療事故」「過誤」が報道され、それに対してバタバタと医療事故防止に取り組み始めた。多くの現場で、「事故対策委員会」が作られた。

しかし、経験も手掛かりもなかった。それまで医療では「医療者に間違いはない」ことが前提にされていた。したがって「事故が隠される」、「個人を非難する」、「もっと注意しろ」、・・・・・。ところがこんな考え方で事故が減るわけがない。医療界には小さな工場でも常識的な「エラープルーフ」とか「ファイルセーフ」とかいう初歩の人間工学的な「用意」すらなかったのだから。エラーやリスクに対する感性も鈍いと言わざるを得ないような、味噌も糞も隣り合ったような薬剤配置とか注射器を消毒液や尿の計測に使用したり、なんにでもつながるチューブ、オーダリングシステムなどもサクシンとサクシゾンが隣り合って表示されるようなことも放置されていた。「注意すれば事故は起きない」はず、だったのだ。

2000年には「人は誰でも間違える」が発行され、「人は誰でも間違える」「誤りから学ぶ」こと、「ヒューマンエラーにはシステムでアプローチすること」。同時期に「組織的なアプローチが必要なこと」が指摘された。

ほかの産業にくらべて、遅れて「事故防止」に取り組みだした医療は“うまくやっている”他産業の取り組みを取り入れようとした。「特効薬」に見えたのだ。管理の強化、品質保証、RCA、リーン生産方式、ガイドライン、SHELモデルに代表されるヒューマンファクターズの考え、チームワーク、チェックリストの使用、リスクマネージメント、会議体、リスクマネージャー、ヒヤリハット、機能評価、ISO、PDCA、TQM(QC)、PDCA,安全マネジメントシステム・・・などなど。


 安全対策の行き詰まりと「安全」の概念の転換

今まで、安全であるということは,「事故が限りなく少ない」,「有害事象が少ない」と,一定期間を振り返った結果をもとにイメージされてきた。事故が発生すれば,その発生過程を遡及的に調査し,原因を明らかにして対策を講じれば,それだけで事故が減少すると信じてきたところがある。このような,従来から我々が受け入れてきた安全への認識をREではSafety-Ⅰと呼んでいる。

ところがある程度事故が減って、安全マネージメントシステムが導入されると、QMS,TQMとかいった生産管理手法をもとにしているため、数値目標、細かなルール・マニュアルなどがふえてくる。書類仕事が増え、安全管理者はパソコンに向かっていることが多くなった。ルールを守ることが目標となり、現場は決められた通りに作業を行うこと、決められたこと以外はやらないように命じられる。そして、それ以外考えなくなる。何か一つ不安全状態があると、さらに一つマニュアルが加わる、といった対策になる。安全担当者はマニュアル(ルール)を作り、インシデント・レポートの数を数えることが仕事になった。(機能評価など)外部監査は書類作りで多忙になる。その結果、現場での仕事の工夫などが抑制され、いざという時に自分で判断することができなくなってくる。意欲も失われる。その結果、新たな事故がおきているのではないか、と言われはじめた。



「線形モデル」で考えるか「複雑適応系」(注)で考えるか


こうなった原因の1つとして,医療という社会工学システムが人間が介在する複雑適応系にもかかわらず、「原因⇒有害事象」「因果信条」といった「線形モデル」の「車を作る工場のような流れ作業」=テイラー的発想で考えていることにある。「きちんと」「ルール通りに」やっていれば「不安全なことはおこらないはずだ」。「不安全事象が起きたのには何か原因がある」「さかのぼっていけばわかるはずだ」と考えるのは正しいのだろうか?事故原因の、妥当な特定は難しいのではないか?原因の断定が目的化するおそれはないのか?


ところが、複雑適応系システムの一つである医療は,不確実性が最大の特徴である.挙動を予測できない,様々な想定外の事象が当たり前のように発生する。しかし,想定外のことが頻発しても,有害事象となることは案外少なく,物事は正しい方向に向かっていることが多い。それは,何かが悪い方に向かおうとしているとき,医療チームの誰かが(あるいはシステムが)それを早期に検知し,状況が深刻化する前に介入し修正しているからである。その修正行為は,安全を担保するために必要な「調整(アジャストメント)」を意味するものであり,この調整力が物事を正しい方向に向かわせている、と考える。

したがって、今までのように事故や有害事象のみを追いかけるのではなく,医療の大半である良好な転帰に至ったケースにどんな正しい方向に向かわせる調整力が作用したのかを学ぶべきであると言われるようになった。「レジリエンス・エンジニアリング(レジリエント・ヘルスケア)」では、このように物事を正しい方向に向かわせることを保証する状況をSafety-Ⅱと呼んでいる。


 「ほとんどは成功している現場」に注目



テキスト ボックス: 赤い線



REの提唱者、ホルナゲルは「1回の事故には9999回の成功がある」「ここから学ばないという手はないだろう」という。以下は講演のスライドの説明である。

「これは問題の起こる確率を示したものです。問題が起きるのは、こちらに示されているように1万分の1の確率です。グラフの赤い線で示されているところが失敗の確率です。それ以外の緑の部分は、1万分の9999であり、物事がうまくいく確率になります。従来の安全に対する見方というのは、なにか問題が起きた時にそれを見て、そこを分析し、よく理解して、そして問題を防いでいこうという考え方でした。ここが政府当局の規制や法律の対象でもあり、いろいろな方法や統計の対象でもありますが、この部分が非常に少ないことを我々はよく知っています。一方、みどりのところはうまくいった部分です。この部分について我々は理解しようとしてこなかったのです」(E.ホルナゲル)


 

Safety Ⅰ」 と 「Safety Ⅱ」


 表はSafetyⅠ と Safety Ⅱ を比較したものである。「安全の定義」を「失敗がないこと」に着目するか?「変動する状況のなかで、成功する確率を増やす」ことに着目するか?事故調査も「失敗」をさかのぼって原因を何か見つけ、それをつぶすことに目的をみいだすのか? 通常、どのようにうまくいっているのか、から理解するのか?人間をシステムの中の最も脆弱な危険要素とみるのか?システムの柔軟性とレジリエンスの必須要素と考えるのか?


 

 

Safety

Safety

安全の定義

失敗の数が可能な限り少ないこと

成功の数が可能な限り多いこと

安全管理の原理

受動的で、何か許容できないことが起こったら対処

プロアクテイブで連続的な発展を期待する

事故の説明

事故は失敗と機能不全により発生する

ものごとは結果にかかわらず基本的には同じように発生する

事故調査の目的

原因と寄与している要素を明らかにする

時々物事がうまくいかないことを説明する基礎として、通常どのようにうまくいっているかを理解する

ヒューマンファクターへの態度

人間は基本的に厄介で危険要素である

人間はシステムの柔軟性とレジリエンスの必要要素である

パフォーマンス変動の役割

有害であり、出来るだけ防ぐべきである

必然的で、有用である。監視され、管理されるべきである。

ホルナゲル「safety 1 & safety 2」

 

成功している現場から「危険」を探る: WAIWAD、成功に重要な「調整」


 現場の「調整」(adjustment)を考える手段として、REでは「WAI:work as imaged」と「WAD:work as done」という概念を提案している。WAIは「イメージした通りの作業」「作業手順通りの仕事」を意味する。WADは「実際に行われた仕事」「手順を必要に応じて調整して行った仕事」を意味する。実際に「変動するシステム」(現場)の中での仕事は、机の上で考えられた計画のとおりに行くことのほうが少ない。現場の人間やシステムが臨機応変に変化し、対応しているのである。その結果「なにもなかった」(=成功)と考えるのである。

「成功している現場」、そこから学ぶ、というのは、WAIとWADの乖離を見るということでもあり、様々な条件に適応している動的状態から学ぶことである。WADの側からWAIを見直し(逆はだめ)たり、現場の変動要因(例えばモノや環境の改善、時間、マンパワーなど)を出来るだけ少なくして、レジリエンスを発揮しやすいようにしていくことが必要となる。

*注 研究者たちは「インシデントレベル0」を報告させるのが「仕事のギャップ」を知る手段としていいのでは、という。「0」のなかにはgood jobというべきものもあるだろうし、もっとこうしたらいい、という積極的反省もありうるからだ。「達成された安全は人の目をひかない」とかつてblogに書き、そこからも学ぼうと訴えたが、インシデント・レポートの過度な?提出義務(数えることが「安全管理」と考える組織が多いので)もかえって現場の負担に感じられているのも現実なのである。


 レジリエンスに必要な要件、補助する要件、TSNTSAttitude


レジリエンス(Safety Ⅱ)を実現する前提として、今までの安全管理(Safety Ⅰ)を切り捨てるわけではない。両者が対立するものでないことも大事なのである。エラーの発生を低減する対策はしておかなければならない。きちんとした(しかし、ガチガチでない)マニュアルも必要だ。猛犬を飼うのに、頑丈な檻は必須だし、なれているとはいっても散歩するときの首輪も縄も必要ということだ。

その上で、Safety-Ⅱの具体的要件として,

①変動を予見する。

②予見に基づく監視とモニタリング。

③変動の早期発見と迅速な対応。

④事後の反省(学習)など、が言われている。

①~③ 場当たりになることを防ぐには何が起きるかを予測することが必要。もれなく予測することは不可能だが、予想されるなかで最も起きては困ることを予測すること。想定の範囲を広げることと、深めることとのバランスが難しいが、対応の準備(頭の中の想定でもいい)をすること。リソースを準備する(人、もの、時間)ことも必要といわれている。

④ 事後の反省は、ものごとが成功裏に終わった場合(=結果、なにも起きなかった)などは、案外見過ごされることが多い。しかし、そこにこそ改善されなければならない「危険の芽」があるのではないか、という。

自験例だが、夜間電気系のトラブルからICUが緊急事態(非常電源系の停電)となり、朝方までみんな必死に「バタバタ」してやっとなんとかなった、などということがあった。しかし、こんな場合にもインシデント・レポートのレベルでいうと「01」だ。朝、病棟に来た管理者はなんと言うか?「あっ、そう。大変だったね。ご苦労さん」でおしまいのことが多いのではないだろうか?事故になってもならなくてもWAIWADの違い(乖離)、つまり現場をよくみる(「成功の中にある「無理」とリスクを読み取る」)という「ラーニング」は管理者にこそ必要なのだ。

Safety Ⅱを実現していくためには上記の4要因の基礎に、仕事そのものの知識・TS(テクニカルスキル)、NTS(状況認識やコミュニケーション、チームビルデイング・・といったノンテクニカルスキル)のほかにAttitude(心的姿勢、倫理観、矜恃、誇りなど)、心身の健康、環境条件もそろわなければならない。このためのトレーニングは知識・技術の教育とシミュレーションをとりいれたCRMなどのノンテクニカルスキルトレーニングなどが有効であるといわれている。

ひとつ付け加えたいのは、Attitudeに関して、レジリエンス(ヒューマンファクター)の研究者や現場の指導者(教官パイロット)が共通して言っていることは(たとえ間違っていても)「自分の頭で考える」「自分の考えをはっきり伝える」資質がないとはじまらない、ということである。これらついては別の機会にまとめたい。



終わりに


この数年、ヒューマンファクターの分野で話題になっているレジリエンス・エンジニアリング(レジリエント・ヘルスケア)をご紹介しましたが、かえってわかりにくくなったでしょうか?

医療安全に関しては1999年の事故多発を契機に、2000年ごろから取り組まれ、産業界から導入した「対策」によって当初はそれなりの効果がありました。しかし現在、ホルナゲルが「惨憺たる」と評したように行き詰っていることも事実です。

レジリエンス・エンジニアリングは社会技術システムである医療を、「因果論の線型モデル」でなく「複雑適応系」と捉えなおし、安全の見方も、safety Ⅱという「多数を占める成功例から、実際の現場でどのような調整がなされているのかをみて学ぼう」というヒューマンファクター研究者たちからの提案です。

「失敗をつぶせば成功である。安全である」と思い込んでいた我々からすると、少し、もやもやしているところもありますが、最近は参考書もありますので、一冊くらいは読んでみたほうが良いと思います。私自身はREに疑問なところもあります。

ここではREのほんのさわりをレポートしました。REで提供されているほかの概念にはFRAM(機能共鳴分析手法)、ETTO(効率性と完璧性のトレードオフ)、機能共鳴、創発などがあり、もっと広い概念のようです。「しなやかな安全管理」「しなやかな現場力」と日本語で表現する専門家もいます。また、「レジリエンス」は心理学や教育学、政治や経営学などでも使われますが、REの研究者の中でも、少しづつニュアンスが違うようなこともあります。ここでは、ホルナゲルらの「概念」に沿って紹介しました。

 

(注)複雑適応系:  医療は(現代社会は)、さまざまな機能や当事者の相互関係・変動(ゆらぎ)・調整によりなりたっており、全体の挙動を部分要素の加算・重ね合わせからは導き出せない非線型の特性を持った、複雑適応系である。このような相互関係や変動・調整があることは、安定性を高める場合と、不安定性をたかめるばあいの両方があり、またよい方向に調整されて進む可能性だけでなく、良くない方向に調整されることも可能性としてはありうる。このような複雑適応系においては、うまくいっていないことだけを見て短絡的にその背景・原因だけをかえると、なんとかなっていたシステムをかえって損ねてしまうことがある。

参考文献

.レジリエント・ヘルスケア 、E.ホルナゲルら 大阪大学出版 2015

2.レジリエント・ヘルスケア入門、 中島和江ら 医学書院 2019

3.ヒューマンエラーを理解する 、S.デッカー 海文堂 2010

*3はヒューマンファクターの側から、形骸化した安全システム、安全管理を批判。この時期、レジリエントと言う言葉は使っていないが「RE」の提唱者の一人である⇒1→2 へとつながる。

4. 失敗ゼロからの脱却~レジリエンス・エンジニアリングのすすめ~ 芳賀繁 2020.7.10.

5. 組織事故  J.リーズン1997 スイスチーズモデルを提唱、ただ、今から考えると事故の「linear model」である。安全文化の4条件に「柔軟な文化」「学習する文化」がありレジリエンスにも通じる。

6. 組織事故とレジリエンス  J. リーズン 2008 原題が”human contribution”である。優秀な外科チームの要件は手術のうまさよりも、合併症の発見、その治療の適否に「有意な差」とある。東北人間工学会HPに翻訳者の解説がある。

7. チームが機能するとはどういうことかteamingとは何か) エイミー・エドモンドソン、2014 チーミングとは動的チームワーク。固定されたチームでなくその場その時に作られた、あるいは自然にできたチームが機能し、良い結果を得るための条件。医療でもここで言われる「心理学的安全」が注目されている。(2019「医療の質・安全学会」など)


(この原稿は 2020.8.に私的研究会にレポートしたものです)


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